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竹下雅敏/教育

2007年4月13日 (金)

豊かな心を持った自立した人間を育てるために

教育シリーズの講演録のこれまでの内容の要旨を箇条書きにしたレジュメを、竹下先生の奥様(泰子様)にいただきましたので、それをご紹介します。実際に教育シリーズの講演が行われたときに資料として配付されたものに若干の編集を加えたものです。

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<はじめに>
・自分自身の感受性を信じる勇気を持ってください。育児書や人の意見は、自分自身の考え方を確立するための参考と考えてください。

・夫婦の仲がよいことが子供を育てる環境の中で、一番大切なことです。
  1.夫婦関係
  2.親子関係
  3.仕事  …が大切なものの優先順位です。

・夫が育児、教育に参加できるような環境を最大限整えてください。教育の成功には夫の協力が不可欠です。また出産や育児に関して夫婦で同じ意見が持てるように十分に話し合ってください。

・豊かな心は、忙しさの中では育ちません。それは、余暇やゆとりの中で育まれるのです。生活の中にゆとりを持つ工夫をしてください。

・食べ物と心の状態は密接なつながりがあります。健康のためだけでなく、正しい心を育てるためにも、食事に気をつけてください。

<妊娠〜出産まで>
・妊娠したら心から喜びましょう。胎児は母親の心を全部知っているのです。

・胎児への愉気と話しかけをして、親子の絆を作っておきます。(母親はもちろん、父親も!)

・妊娠を知ったときから母親は仕事を休むようにしましょう。コンピュータの電磁波やタバコの煙は特に有害です。

・毎日最低1時間は散歩して、足腰を鍛えておきましょう。不妊や流産をする人は足腰が弱く、腰椎4番が捻れている場合が多いのです。

・この時期の母親は出来るだけリラックスすることを心がけ、夫はそれに協力しましょう。

・出産はどこでどのようにするかをあらかじめ考えておきましょう。
  1.自分で
  2.助産婦
  3.助産院
  4.小さな産院
  5.大病院   …が優先順位です。

<出産>
・胎児の状態を最優先し、母体の出産準備が出来るまで充分待つことが大切です。医師の都合に合わせた出産は母体の健康を著しく損ないます。

・母体の準備が整うと、赤ちゃんは自らの力で楽に生まれてきます。医者に頼る気持ちは持たないようにしましょう。人に頼る気持ちが強い人ほど安産から遠ざかります。

・必ず母子同室にして、赤ちゃんの反応にすぐに気づけるようにします。これが可能な産院を選びましょう。

・赤ちゃんを産んだらすぐに抱いて授乳させましょう。(生んでから45分以内に!)

・赤ちゃんに強い刺激を与えないようにします。(大人の大きな話し声、咳、くしゃみ、直射日光、熱い温度の沐浴など)

・美容と健康のため、母親は両方の骨盤の開きがそろってから立ち上がるようにしました方がいいでしょう。出産後3〜6日でそろいます。夫の協力が不可欠です。(参考文献「育児の本」 野口晴哉著 全生社)

<出産後>
・十分に抱いて育てましょう。心を込めて抱いてください。抱き癖は絶対つきません。

・授乳、おむつ交換などをする時には、赤ちゃんに必ず話しかけましょう。そうすると親の言葉をすぐに理解します。

・家事よりも必ず子供の要求を優先させましょう。十分に愛されて育った子供は、わがままになるどころか、愛情深く思いやりのある子供に育ちます。

・子供の自然な成長を待ち、育児書に書いてるよりも成長が遅れているように思えても、決して焦らないことです。自分の感受性を信じてください。赤ちゃんによって個人差がありますが、歩行や言葉を話すことなどは、遅い方がよいのです。

・「ワンワン」ではなく「犬」と教えましょう。赤ちゃん言葉はなるべく使わないようにした方がいいです。大人の言葉が分からなくなり、将来の理解力に大きな差が出てきてしまいますから。

・母乳で育てましょう。ミルクは母子ともに健康によくありません。

・授乳は出来るだけ長く続けましょう。(最低でも1年半は必要でしょう。)

・赤ちゃんは意外に体のあちこちが凝っているものです。身体をなでてあげることを習慣にしてください。時にはマッサージが必要なこともあります。赤ちゃんの免疫力が大変高まります。

・離乳食は出来るだけ簡単な方がよいのです。赤ちゃんが食べたがらないものは必要がないのだと考えてください。栄養の摂りすぎ、食べ過ぎは病気の原因になります。

・1歳半になるまでは、空気の汚れた場所や人の多いところに赤ちゃんを連れて行かないようにしましょう。1週間後、時には1ヶ月後に病気になる可能性があります。

・ベビーベッドは使わずに、床に寝かせます。赤ちゃんの運動能力を奪わないようにするためです。

・歩行器などの器具は絶対に使わないようにします。はいはいなどの赤ちゃんにとって必要な運動を奪うため、将来の運動能力に大きな差が出てきます。

・布おむつで育てましょう。紙おむつは子供の排尿に対する感受性をにぶらせるだけでなく、歩き方がおかしくなります。

・靴は履かせないで草履を履かせるようにしましょう。(足を変形させないためです。)

<育児、教育の基礎となる重要事項>
・子供に対する態度や言葉の中に含まれるメッセージは、「あるがままのあなたを愛してます」というものであって下さい。

・子供に親の夢や理想を押し付けないように注意しましょう。親の人生と子供の人生は、全く別のものだという認識が必要です。

・子供は、親と全く別の価値観と性格を持って生まれてきます。子供の性格をよく理解し、子供をあるがままに見るように心がけましょう。子供の話をよく聞く習慣を身につけることが大切です。

・親が認めたとおりに子供は育っていきます。あるがままに受け入れられ、理解された子供は、心の豊かな、落ち着きのある、しっかりした子供に育ちま す。しかし親が子供の否定的な面ばかり見て、注意ばかりしていると、消極的で病気がちな子供になるか、または落ち着きがなく、反抗的な子供になってしまい ます。

・積極的、肯定的な言葉を使ってください。消極的、否定的な言葉は子供の性格をその方向に導くだけでなく、反抗や病気の原因になります。

・しつけを急がないでください。子供の自主性と自立性を尊重してください。子供に何かをさせる、あるいはしてもらうときには、必ず子供の同意を得る習慣を作ってください。子供の意志を育てるために。

・しつけを強制しないでください。あくまでも大人からのアドバイスという形にとどめてください。子供がいやがることはそれ以上強く言わないようにします。子供がいやがる理由を深く理解するように心がけましょう。

・子供の態度の悪い面を直そうとして注意するのは、教育上逆効果です。悪い面は無関心を装い、良い面を見て、それを育むようにするとうまくいきます。

・子供の態度に否定的な側面が見えた場合、それを子供の性格として受け止めず、一過性のものと考えます。そして、何故子供がそのような態度を取るの かを、深く理解しようと努力してください。子供の良い面を育むには、まず子供を「よく観る」ことが重要です。子供がほめられて当然な良いことをたくさんし ていることに気づいてください。子供の良い面に気づいたら、それを子供に直接言うのではなく、子供の気が緩んでいる時に、さりげなく言ってほめてくださ い。子供が意識していない時に語られた言葉は、子供の潜在意識の中に深く入っていき、ゆっくりと心の中で成長してゆきます。

・親が子供の要求や態度に、適切な対応を取らなかった場合、子供の体は激しく緊張し、身体のいろいろな部分が硬くなり、凝ってきます。子供のイライラや、落ち着きのない態度は、身体の凝りをほぐすだけでもかなり緩和され、時には消失します。

<子供の要求の二つの方向性>
・子供の要求には、両親の愛情を得たいという‘愛情要求’と、自立して大人になろうとする‘独立要求’の二つの方向性に大別できます。愛情要求には「十分な愛情」を、独立要求には子供の成長を「忍耐強く待つ」ことが大切です。

・‘愛情要求’の時の子供の身体はゆるんでおり、基本的に甘えてきます。しかし、よく病気や怪我をしたり、親が困ることをわざとすることも、親の注意を惹いて、注目(愛情)を得ようとする愛情要求です。

・‘独立要求’の時の子供の身体は、引き締まって弾力があり、基本的に元気で動き回りたがり、自己主張が強くなります。親のちょっとした言葉にもす ぐに反発したり、親の言うことにすぐに従わず、わざと送らせたりすることなどは、自己を主張しようとする独立要求です。この時期に対応を誤ると、親を怒ら せる行動をわざとしたり、大きな病気をしたり、事件や事故を起こしたりします。

・独立要求の時に大切なのは、子供の話をよく聞くことと、しつけを急がないことです。特に「〜しなさい」という命令は子供の反発を招き、子供の性格をゆがめていきます。

・しつけは十分な準備期間をおいて、長期にわたる計画を立てます。しつけを成功させる秘訣は、子供に行動を伴った空想を誘導することです。

・子供を自立させる最高の方法は、子供を既に独立した自立性のある完全な人間であると親が認め、そのような態度で子供に対して振る舞うことです。

<参考図書>
9つの性格(鈴木秀子著 PHP出版)
子供をのばす9つの性格(鈴木秀子著 PHP出版)
生きがいの創造(飯田史彦著 PHP出版)
運命の貴族となるために(ジョン・マクドナルド著 飛鳥新社)
愛のヨガ(R.V.アーバン著 野草社)
子供たちとの対話(J.クリシュナムルティ著 平河出版社)
インナー・ブレイン(浜野恵一著 同文書院)
胎児は見ている(T.バーニー著 祥伝社<ノン・ブック>)
家庭で出来る自然療法(東城百合子著 あなたと健康社)
クスリのいらない健康法(石原結寛著 三笠書房)
「体癖」一巻・二巻(野口晴哉著 全生社)
躾の時期 (野口晴哉著 全生社)
育児の本(野口晴哉著 全生社)
叱り方褒め方(野口晴哉著 全生社)
背く子 背かれる親(野口晴哉著 全生社)
誕生前後の生活(野口晴哉著 全生社)
思春期(野口晴哉著 全生社)
叱言以前(野口晴哉著 全生社)
子育ての記(野口昭子著 全生社)
アメリカインディアンの教え(加藤諦三著 ニッポン放送出版)
ミュータントメッセージ(マルロ・モーガン著 角川書店)
大いなる生命学(青山圭秀著 三五館)
人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー著 産能大学出版部)
眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー著 産能大学出版部)

2007年3月26日 (月)

子供たちの心を感じられますか 20【真に幸福になる教育】

うちでは文字とか算数とかは全然教えないようにしています。子供が興味を持って聞いてきたら教えますよ、だけども基本的にはそういうことは教えないで、子供の興味に任せています。それより人間としてもっと大切なことを教えたいのです。

子供に、「日本人は他の国の人の食べるものまで奪ってるんだ。どうしてかわかるか?」…と聞きましたが、当然わかりません。「物が沢山ないと幸福になれないと思ってるんだ。世界にはものすごく貧乏な人がいて、明日食べるものがない人もいるんだ。そういう国に比べたら、日本は遙かに豊かなのに。それで戦争になることもあるんだよ」と話したのです。それで、何日かしてから、「本当に貧しい人がいて、とも君位の年齢でお父さんお母さんが死んで一人になってしまう子もいるんだ」と話したんですね。すると子供が、「ねえお父さん、日本人にもすごく貧しい人っているの?」聞きました。「いるよ、お父さんとお母さん。うちが貧しいんだ」…そう言ったら子供が驚いていましたね。「うちがとても貧しい家庭だ」…それで私はニヤリとして、「ここが問題なんだ。とも君、うちは本当に貧しいんだ。だけど不幸かな?」と聞いたのです。すると「全然」と答えました。「そこが問題だ、貧しくても全然不幸じゃないだろ?」「うん」「ところが多くの人はお金持ちにならなきゃ幸福になれない、と思いこんでるんだ。ちょうどとも君が『上位だと愛される』と思っていただろ?それと同じなんだよ。お金を沢山持っていると幸福になれると錯覚してるんだ。でもとも君、うちは凄く貧乏なんだよ。でも全然不幸じゃないだろ?」「全然不幸じゃない」「だからお金と幸福とは関係ないんだ」

そしたら妻がポソッと「お金持ちでも幸福な人はいるのよ」って言ってましたけど。それは確かにそうです。そこが問題で「関係ない」んです。ところが日本の大人は錯覚しているんですね。お金持ちになって、あるいは社会的地位を築いて、豊かになって、ステ−タスを持ったら幸福になれる、そしていい人と巡り会って幸せになれる…そんなふうに思ってる。エリ−トコ−スに乗って高級官僚コ−スに乗れた、そしたら、すごいいいとこのお嬢さんと結婚できるかもしれませんよ…でもかえって不幸になるかもしれないんですね。不幸になるから浮気したりするんでしょ?全然関係ない、関係がないということが、官僚クラスの頭が良い人達ですらわからないんですね。これははっきり言って「宿命的不幸」ですね。こういう錯覚をされたら困るから、うちの子が7歳の時に「それは関係がない、お前が金持ちになろうが貧乏になろうが、そんなことはどうでもいい。幸福はそんなところにはない」ということをちゃんと教えたいのです。私が教えたいのはそういうこと、それから「上位とか下位とか、人と競争することも無意味である」ことも教えたいのです。

人間がどういう時に幸福を感じるかと言うと、「万物との一体感を感じている時」だと思いませんか?例えば、家庭の中で幼い子供が幸福感を感じるのは「母親との一体感を感じている時」なんですね。恋人同士が、相思相愛の人が本当に幸福だと感じるのは「恋人との一体感」を感じている時なんですね。手を握って相手のことを感じている時ですね。そして相手も自分のことを感じている時に幸福を感じるんです。ですから、「今」を感じている、そして同じ場所にいる人と「一体感」を感じている、その経験、体験のことを「幸福」と言っているんです。そうすると、これをどんどん拡大していくと人間に限る必要はないんですね。それを感じ取れることの出来る人ほど幸福なんですよ。花と、あるいは山と、自然と「一体感」を感じられる人がいるんです。こういう人はだいたい詩人になれる人達ですね。そういうことが出来る、とても幸福な人達だと思います。だから私は子供にそれを理解してもらいたいのです。それを妨げるのは何かというと、「差別感」なんですね。「あの人達は愚かだ」とか、「自分と彼らは違う。自分は上位で彼らは下位だ」とかいう、その差別感なんですね。差別感があると一体感を感じられない…すなわち不幸になっていく。

ところが今の社会は、教育から何から全て差別感を植え付けることをやっているのです。そうすればするほど孤立していきますね。そうすればするほど人間は幸福から遠ざかっていくのです。私が子供に何とか伝えたいと思っているのは、「全ての人間は本質的に平等だ、本質は同じだ」ということなんです。人間だけじゃありません。「動物も植物も全ての物が本質において同じ、石も同じだ」ということを伝えたいのです。

よくうちではこんなことを子供が聞いてきます。「アマガエルって偉いのかなあ?」すると私はこんなふうに答えます。「多分とても偉いと思う。人間はあまり自分のことがよくわかってないから、アマガエルの偉さもわかってないんだよ」…本当にそう思ってるんです。本心で言ってるんです。「もしカエルと話が出来たら、色んなこと教えてもらうんだけど…」という話をよくします。

「インドにラマナ・マハリシという凄い聖人が居たんだ。この人は神様と言われていた人なんだ。近代インド最大の聖者と言われていたんだけど、どんな人かわかるか?」と言ったんです。「実はほとんど一日中何も喋らないんだ。彼のアシュラム(道場)に、三日も四日もかけて心の中に悩みごとを持っている人、苦しんでいる人がやってくる。そしてそこの道場でマハリシと一緒に座ってる。すると心がス−ッと穏やかになって自分の心の中から答えが出てきて、『あっ』と思ってまた山を降りていく。なんか知らないけどその人の側に行くと心が平安になって、回答が勝手に見つかって、『そうか』と思って生きる元気が出てきて、山を降りていくんだ。ラマナ・マハリシはそういう人だったんだ。そしてみんなはその人を神様だと思ってたんだよ。わかるか?」と言ったら、「う−ん」と言ってるんです。そこで「ねえとも君、カエル見てどう思う?」と聞いたら、「とても楽しくなる、なんかカエルっていつも笑ってる気がする。見てるだけで楽しくなる」と答えました。「そうだ、ラマナ・マハリシと同じだろ?見てるだけで心が楽しくなってすっごく気分が良くなるだろう?神様のようなんだ」「…そうか」と言ってるんですね。

そして「とも君、テレパシ−ってわかるか?」と、テレパシ−の説明をしたんです。「実はイルカって凄いんだよ。イルカは言葉は使わないんだ。学者もどうやってコミュニケ−ションしているか、話しているかわからない。でもね、最近の研究では、イルカは額の中から超音波を出して顎で受けて、脳の中で映像を作っていて、隠しても後ろの物が見えているらしいんだ。どうやらイルカはテレパシ−を使っているらしい。テレパシ−というのは、例えばとも君がお父さんに、『ねえねえ、とも君のペンギンどこにある?』と聞いてきたとする。それでお父さんが、『枕の下にあるよ』と言葉で言わないで、枕とその下にあるペンギンの映像をポッと送って、とも君が頭の中に枕とペンギンの映像がフッと浮かんだら、『あ、そこにあった』ってわかるだろう?それがテレパシ−だ。イルカはどうやらそうやって会話をしてるらしい」…と話したんですね。「学者が今そういうことを言いだしてるんだ。そうだとしたら人間より凄いだろう?」「…凄い」って言うんですね。

「そこでだ、とも君。もしとも君が困ってて、何か悩みことがあったとする。何かとても心の安らぐ大きな石があって、そこの上に座って暫くすると何かハッと良い考えがひらめいて『そうかわかったぞ』と言って、悩みごとが解決出来たとしたらその石は『神様』だろう?」「…そうか」と言ってるんですね。「ひょっとしたら石がとも君にテレパシ−で教えてるかもしれないだろ?…わからないよな、そんなことは。でも可能性はあるだろう?とてもきれいな木があって、なんかそこに惹かれてそこに行くと気持ちがよくなる。それでハッと閃いたら、その木はやっぱり『神様』だろう?だからすべてのものが神様である可能性ってあるよね」…と言う話をするんですね。「だから私たち人間がわからないだけで、ひょっとしたらカエルも、虫も、石も…全てのものが神様なのかもしれないんだよ」と言ったら、やっぱり子供ってわかるんです。多分大人よりよくわかっていると思います。

ヨ−ガの行者で、もの凄い修行を積んで「ニルビカルパ・サマディ」という最高の意識に到達した人がいるんですが、中には、かなり修練を積んで水の中に2時間以上居ることが出来たりする人がいるんです。ところが水の中で呼吸を止めたまま、動き回って仕事をすることはまず出来ないんです。ところがそれをイグアナ達は平気でやってますね。2時間も呼吸しないで海の中に入って餌を食べてるんです。こういうのを見れば見る程、この人達…いや人じゃない、イグアナ達は何なんだ、と思いますね。ヨガの行者達が一生かかって到達する境地に初めからいる。しかも、一日中太陽を見つめて瞑想している…そういう風に見えるでしょ?「これはひょっとすると神様かもしれない」…私なんかはそう思うタイプです。

ですから私は「人間が最高のレベルにいるとは思えない」んです。私がそう思うのは勝手だし、他の人が「人間が万物の霊長でトップにいる」と思うのも自由です。だけど一つ私が言えるのは「上だ、下だ、と思って万物に序列を作ってしまったら、その人間は多分幸福になれない」ということなんですね。「全ての物が平等で、本質において一つである」と感じた時に人は幸福を感じるんだと思います。これは私の体験でそうなんですね。ですから、一切の差別感を無くしてしまって「全ての物が完全に平等である」という意識、これは「ブラフマンの意識」と言って、インドの叡智の最高のものだと言われているんですが、実際のところ「ブラフマンの意識を獲得すること」があらゆる宗教の最終目標なんです。私は子供に苦しみの中に巻き込まれるような知識を教えるのではなく、「本当に幸福になる為の知識」を教えた方が良いと思うのです。それは何かというと、「差別感を無くす知識」です。それは「本当は全てのものが同じで、上も下も順位も無いのだ」…ということ。ただこの世界ではそれだと会社などでの仕事がやりにくいですから、形の上の方便で、一応「上司」と「部下」が居る。そして上司が命令したことを部下が遂行する。でもこれは方便の世界である、本質ではない…ということをいつも子供に言ってるんです。そして教えられた知識を、本当に子供がこの世界で体験して、自分で苦しんで、本当に心の底からそう思えた時に、子供は多分幸福になれると思っているんです。ですから私は幸福になる術を子供に伝えたいと思っています。

ところが今の教育は逆をやっている。どんどん不幸になって、差別をして、孤立化する方法を教えているように思います。そして、「もっと頑張れ、階段を駆け上がれ、そしたらトップに立てる、そしたら豊かな暮らしが出来る、それが幸福だ」…でも、ちっとも幸福な社会になってないですね。そのやり方では誰一人として幸福にはなれないんじゃないでしょうか?…ここが問題なんです。私は教育の方向性が完全に誤っているんじゃないかと思います。今の教育は、人間を幸福にするのではなくて不幸にして孤立するためにやってるんじゃないかという気がします。私が子供に伝えたいことというのは、「真に幸福になるための知恵」で、単なる知識とか、算数とか、そういうことではない。じゃあうちの子はそういう「勉強」が出来ないかというと、そんなことないですよ。私は何にも教えてないんです。ところがこの前とも君が、「1足す3は4」とか言っていました。「3引く2が1」とか自分で勝手に計算をやってる。そして次に「1引く1は0」と言ってたので、それより難しい「1引く2はいくら?」と、とも君に聞いてみたのです。そしたら「マイナス1」とちゃんと答えたので、私は驚いて次に「1引く3はいくら?」と聞きました。「マイナス2」って言うんですよ。星 飛雄馬じゃないですけど、猛烈に感動しましたね。「なんじゃコイツは!」と思いました。ノ−トを見たら「9引く10はマイナス1」と書いてある。双六で遊んでいるうちにそういう知識まで身に付いちゃうんですね。勉強って全然教える必要ないですね。子供が勝手に学んでそういう知識まで手に入れちゃうんですよ。それよりも「もっと大切なこと」を教えてやると、勉強だとかそんなことは、自然に必要なことは出来るようになりますよ。それが私の言いたいことなのです。

…続く

2007年3月25日 (日)

子供たちの心を感じられますか 19【子育てで親も成長】

それで、どうしてそんなにマウンティング行動を取るのかが私(竹下氏)は非常に興味があるんですね。何故それをするのか。だから前にも話しましたが、子供が、お風呂の中でうちの妻の膝に自分の睾丸を押しつけたりするんですね。これもマウンティング行動の一種なんですが、動物だったら会陰の所に臭線があります。つまりこれは「臭い付け行動」なんですね。そういうことを本能的にやるんです。お兄ちゃんが4、5歳で、下に2歳位の妹がいるとすると、どうしてもお母さんは幼い妹の方に手をかけますね。お兄ちゃんはそれが気に入らない。母親の愛情が欲しいですから。するとお兄ちゃんはどうするかというと、妹にマウンティング行動を取るようになるんです。自分の性器を妹の肌に直接押しつけたりする。本当にそうすることがあるのです。すると母親にそういう知識がないと「この子は変態だ」と思ってしまいます。これは何をやっているかというと、「俺の方が上だぞ」というメッセ−ジなんですよ。ところが母親がそれを知らないでこの子はおかしいと思ってやめさせようとしますね。でもこれは動物としては自然なことで、自分の方が上位だということを妹に自覚させようとしているんですね。だからやめさせる必要は全然無いんです。ところが親がそれを知らないと、この子はおかしい、と思って無理矢理やめさせようとして叱る。でも子供は母親の愛情が欲しい。子供の世界では「母親に愛されている方が上位」なんです。ここが問題なんですね。ここが全ての答みたいなものなんですよ。

これはつまり「母親に愛されたいから上に立とうとする」ということなんです。これは本当に単純なことでして、動物の世界はそうでしょ?雄は雌を獲得するために力を見せつけようとしますよね。動物は繁殖期が来たら、雄同士が角を突き合わせたりして、どっちが勝つかを決めるでしょ。勝った者が雌を獲得出来るんです。同じように、子供というのは「勝った者が母親の愛を獲得できる」と錯覚するんです。それで妹より上に立とうとしてマウンティング行動をするわけです。私がこれがわかったのは、子供は私を自分より上だと思っていて、なんとかして私よりも上に立とうとする…それが何故なのかとずっと子供を観察したからです。それは私の妻が、子供より夫である私の方が大切なそぶりをみせるからなんです。わかりますでしょうか?女性だったら夫婦の生活、夫婦で仲良く愛し合っていたいと強く願うでしょ。子供というのは、いつかは成人して離れていくものです。でも夫婦関係というのは、それよりもずっと長く続くわけです。だから親子関係も大切だけど、「夫婦が本当に仲睦まじくいつまでも幸せでいられたら」と誰でも思うでしょう?

とりわけうちの妻は「アダルトチルドレン」ですから…。子供の頃、本当に大切にされて育てられてないんですね。だから「本当に私を大切にしてもらいたい」という渇望が、心の中にずっと深くあるんですね。これは簡単に言えば私に、夫である私に大切にしてもらいたい、ということです。だけど私がどんなに大切にしても、妻に「私はこの人に大切にされてる」という自覚が生まれるまでは、現実には満たされないんです。妻はそういう風に「大切にされなかった」という満たされない思いを抱えて育ってきてるから、どうしても何か余暇があると、私の方に気持ちが向いて来るんです。子供は2番目なんですね。これはやっぱり子供にはわかるんですよ。「お父さんと僕だったら、明らかにお母さんはお父さんの方が好きなんだ」と思うんです。私がコタツに横になってリラックスしてるとしますね、すると妻が隣に来るんです。子供の隣には来ないんですよ。そして子供は間に割って入ってくるんです。これをいつもやっているんですよ。そうすると子供は、「お母さんは僕よりもお父さんの方が大切なんだ、好きなんだ」と思うんです。何故かというと、「お父さんの方が上位だからだ」と思うんです。これが子供の論理なんです。それでマウンティング行動をして自分が上位になれば良いんだと思う。だからマウンティング行動をやめないんだということに気付いたんですね。

なるほどそういうことだったのか…と思って、妻がお風呂に入ってる時に子供に「とも君、どうしてマウンティング行動するん?」と聞いたら「わからない」と言う。やっぱり子供にもわからないんです。本能でやってるんですね。「とも君な、とも君がな、上位になったらお母さんが自分のことをもっと愛してくれると思ってるんじゃないか?」と聞いたら「思ってる」と言ったんです。「お父さんの方が大切にされてると思ってるだろう?」「思ってる」「自分の方が上位だったらお母さんを独占できると思ってるだろう?」「思ってる」…私はその時に「それは違う、それは関係がない」と言って話したんです。要するに、「お前は自分が上位じゃない、下位だからお父さんよりも愛情が少ないと思ってるだろう?だからお母さんにもっと愛情をもらおうと思って、お父さんとお母さんが話し始めたら『ねえねえ、お母さんお母さん、新幹線がねえ…』ってすぐ言うだろう?。お前、『新幹線がねえ』と言ってから質問を考えてるだろう?」と言ったら、「うん」と言うんですよね。「そんなことをすればするほど、お前はお母さんに嫌われるんだよ。だからますます不安になって、お父さんとお母さんが話し出したら、お母さんの気持ちがお父さんに向いたら、直ぐに間を割ってきてまた『ねえねえ、お母さんお母さん』…とやるだろう?「お父さんは『ねえねえ、お母さんお母さん、新幹線がねえ…』と言わないだろう?だから嫌われない。その秘密は簡単なんだ。つまり、お母さんが『こうして欲しいな』と思っている時に、お父さんはその邪魔をしない。お母さんが食事を作っている時お父さんは邪魔しないよ、だからお母さんはお父さんのことを嫌いにならない。好いてくれる。それはお父さんが上位だから好いてくれるんじゃないんだ」…と話したんですね。そして、「とも君はとてもお母さんに大切にされてるんだよ」と話したんですよ。それで、これをうちでは「私は愛されてる攻撃」と言ってるんですけど、自分はとても愛されている、大切にされているということを入れちゃうんです。子供やうちの妻によくやってるんですよ。そして子供に「自分はお母さんに本当に大切にされている」という自覚が出来た時に、そういうマウンティング行動などは消えていくだろう、と私は思ったんです。

テレビで他の家庭の様子とかをやってることがあるでしょ?あるいは学校でも他の子供の様子を見たりして、「よその家庭と違って自分は本当に大切にされている」ということが、うちの子供にはだんだんとわかってきたんですね。それと同時に、妻が自立してきて精神的に成熟してきたんです。これはだいたい同時並行的に起こりました。結婚して10年経つんですけど、精神的にとても成長してきたんです。どうして成長したのかというと、子供を育てることで成長したんです。本当にこの1年なんですけど、あれだけ私に甘えてきて「大切にしてくれ、大切にしてくれ」という感じだったのが無くなってきたのと、子供が「自分はお母さんに本当に大切にされている」という自覚を持ち始めたのが、ほぼ同時でした。私に甘える必要が無くなってきたんです。そうすると「ねえあなた…」と言って、べったりと私の側に来る必要が無くなった。すると子供にはお父さんにお母さんを取られているようには見えないでしょ?母親の愛情がストレ−トに自分の方に来るんですね。それで子供はますます「僕は凄く大切にされてるんだ」という自覚が出てくるんですね。

妻はアダルトチルドレンだったので、妊娠して6ヶ月間、子供を愛せなかったんです。この6ヶ月間を取り戻すのに6年間かかったんですよ。その位時間がかかるんです。だけども私が言いたいのは、仮にアダルトチルドレンでとても悲惨な幼児体験をしていたとしても、正しく子供を育てることが出来ればそれを克服できる、そして子供をちゃんと育てられるということなんです。それで彼女は本当に変わりましたよ。この10年でものすごく変貌しました。子供もそれに連れて変貌して、「本当に自分は大切にされている」と感じていて…だからこの一年位で、「本当にとも君はとても良い子だ」とうちの妻が言うようになったんです。そういう言葉がよく出るようになった。言えば言う程子供は自信を持ちますね。そうしたら、マウンティング行動はほとんど無くなってしまったんです。この前「とも君、お母さんに大切にされるとかされないとか、順位には全然関係ないだろう?」と聞いたら、「ない」と言ってました。私は「一応これで、ある程度までは成功したかな」と思いました。

続く

2007年3月24日 (土)

子供たちの心を感じられますか 18【上位・下位の錯覚】

次に、前回「子供が反抗期の5歳〜7歳位になると順位争いする」という話をしましたが、ここの所をもっと詳しく話してみたいと思います。これはかなり大事なことなんですね。うち(竹下家)の子供と散歩している時などに観察してみると、当初子供は私を「自分より上位だ」と思っていたんです。妻と比べると妻よりも「自分が上だ」と思っていたようです。妻よりは上だけど私よりは下だと子供は思っていたんですね。ところが、前回話したように、駆けっこをやって私がわざと負けるということをやってしまった。すると子供は「自分の方がお父さんより上だ」と錯覚し始めたんです。すると、それまでは散歩しても絶対に私より前を歩かず、常に同じか少し後ろを歩いていたんですけど、駆けっこをやって私が負けてやるようになって「自分が上だ」と思うようになってから、2〜3メ−トル前を常に歩くようになったんです。初めは私もそれに気付かなくて、「勢いがあって元気になったなあ」ぐらいにしか思ってなかったんです。まさかそれが「自分の方が上位だと思っている」とは感じませんでした。

ところが、わざと負ける、食べ物を譲ってあげる…そんなことをやっているうちに、私が座っていると背中から覆い被さって来るようなことをやりだしたんです。これは自分の方が上だということを誇示する「マウンティング行動」と言います。私が横になって寝ていると、私の上に乗りかかろうとするんです。これはお父さんが寝ている所に来て、一見甘えているように、遊んでいるように見えるんですが、これは「マウンティング行動」なんですね。「俺の方が上位だ」ということを誇示する行動なんです。下位だったら腹を見せます…犬と同じで。けれども上に乗るっていうのは「俺が上位」だというメッセ−ジなんですね。私もなかなかこれに気付かなくて、3ヶ月かかったんですね。気付いたのは、それをやり始めるようになってから言うことを聞かなくなったからです。おもちゃがいっぱい出ていて、部屋の中を歩けないほど散らかってたので「片付けた方がいい」と言ったんですが、聞かなくなってましたから。「とも君、これだと新幹線踏んでしまうからこれをちょっと脇によけてくれないかなあ?」と言ったら猛然と怒るんです。私はこういうことがあると「どうしてこの子はそうした態度を取るんだろうか?」と考えるタイプですから、三ヶ月位観察してみて「これはマウンティングだ、自分が父親である俺より上だと思っている」ということにやっと気付いたんです。そう考えると、そりゃあ自分の部下に命令されたら誰だって腹が立ちますよね。人間というのは、自分より下だと思っている人にアドバイスされたらムカッと来るものです。それで怒ってるんだということに気付いたんですよ。

それで、これはまずいということで、駆けっこで絶対に負けないようにしたんです。そして「お前が上位だから負けてたんじゃなくて、お父さんがわざと負けてあげてたんだ」と話しました。でも子供はなかなか信じません。「これは絶対に負けちゃいかんな」と思って、負けないようにしました。そういうのを繰り返していると、1週間か2週間位たった頃ですかね、「お父さんがちゃんと真剣にやれば、本当は自分は勝てないんだ」ということがわかってきて、本当に「前はわざと負けてくれてたんだ」ということを理解してきたんですね。そしたら自分から「駆けっこしよう」とは言わなくなった。すると意気消沈して元気がなくなってしまうんです。…これもまた困るんですけどね。それでしばらく放っといたんですが、久しぶりに子供の方から「駆けっこしよう」と言いだした。そして自分から「勝たんといて」って言うんです。「勝たんといてってどういう意味?どっちが勝つん?」と私が聞いたら「とも君(自分)が勝つ」と言う。「お父さんがわざと負けるのか?」「うん」「まあ、それなら良いだろう」と言って、こんどはわざと負けてやりました。…それで満足している。こういうことを結構やってたんです。そうすると「お父さんが本当にわざと負けてるんだ」ということがはっきりとわかってくる。それで子供には、「お父さんは本当に強いから、わざと負けてあげられるんだよ」という話をしたんです。

人間て面白いですね。7歳までは犬とか猿と考え方が同じなんですよ。私が「この子はまだようかんが食べたそうだから、自分も食べたいけど我慢して自分のぶんを分けてやろう」と思ったとします。思いやりの心を育んでもらいたいと思って、それをやってるわけですね。でも子供は違うんですよ、そうは受け取ってないんです。「俺はボスだ、だからお父さんのぶんまで取って当たり前だ」…本当にそう思ってるんですよ。私は子供に聞いてみたのです。「お前、自分がボスだから沢山取って当たり前だと思ってるだろう?」「思ってる」「違う、それは違うぞ。お父さんは本当は強いから、だから『もっと食べたい』と思っているおまえに、我慢して自分のぶんを与えてるんだ」と、何度も説教しました。そのうち「本当にお父さんは強いんだ」ということがわかってきて、その上で「本当に強い人は、困った人が居たら自分が食べなくても与えられる人なんだ。自分が食べなくても他の人に分けられる人が本当に強い人なんだ、わかるか?」と言ったら、美味しい物が食べたいからその場では「わかる」と答えます。でも本当はわかってないんです。そういうことをやりながら育ててきたんですね。

それでマウンティング行動をやめるかを、ずっと観察し続けたんです。でもやめないんですよ。やっぱり私が横になってると、しょっちゅうマウンティング行動をとる。お父さんがわざと負けてることはわかってるんですけど、人間というのはいつも、より強くなろう、たくましくなろうとしますから、次の日にはお父さんを追い抜いてやろうと思うんですね。私はそれに気付いていましたが、横になって寝ている時に甘えてくるふりをして乗ってくるんです。私は寝ながら子供に「とも君、今何してるの?お前はそうすることで自分が上位だと錯覚してるだろう?」ということを言いました。はっきり「それは錯覚だ」と。子供は私が横になって寝ている時に、股を開いて上に仁王立ちみたいな形を取ることがあります。上から見下ろす時があるんです。それで、「お前何してるんだ?」と聞きました。絶対に止めろとは言わないんです。ただ何をしてるのかを自覚させるだけです。そしたら子供が「上位への錯覚」と言いました。笑っちゃいますけどね。「そうだよ、錯覚なんだよ」と私は言いました。

要するに私が子供に伝えたいのは「本当は人間には上位とか下位は無い」っていうことなんです。人間としては本来は、上位とか下位は存在しないことを伝えたい。子供と大人と本当の意味でどっちが生命力が強いかと言ったらこれはわからないでしょ。大人と子供のどちらが本当の意味で偉いかもわからない。上位とか下位というのは社会的な方便で、本当のところ生命というレベルでは上下は無いはずですよね。私はそれを伝えたい。だから、「一応、この家ではお父さんが上位ということになってるけど、これは錯覚だ。お前が上位だと思ってるかもしれないけど、それも錯覚だ。本当のところは上下はない」ということをいつも話して聞かせてるんです。

続く

2007年3月23日 (金)

子供たちの心を感じられますか 17【誘導の実際】

ある日うち(竹下氏)のお袋がようかんを大量に作りました。私たちが食事をしていた時にお袋が「とも君、ようかん食べるか?」と聞きました。「食べる」「じゃあ切ってやろう」となったんですが、うちでは一切れ、二切れしか食べないのに、それが目の玉が飛び出るような量だから「それちょっと多すぎるんじゃない?」と言うと「何言ってる、これの倍もうさっき食べたんよ」という返事。それを聞いて「えっ、それはちょっと食べ過ぎやねえ」…と私がボソッと言っちゃったんです。別に私は子供のことを批判して言った訳じゃないけれど、そのままの感想として言っちゃったんです。すると子供は「まずかったかな、食べ過ぎたかな」と思ったんですね。

お袋がもう一度「とも君ようかん食べるか」と聞くと「ううん、もう要らない」という返事。お袋は「遠慮することないよ、食べたいもの食べたらいいよ」と言い、私も「食べたかったら食べて良いよ、我慢したら体に悪いから食べた方が良いよ」と言ったんですが、でも子供は「ううん、要らない」。…これは私がボソッと、「ちょっと食べ過ぎやねえ」と言ったのが相当こたえていたんですね。そしたら親父が日頃から私の食事の考え方に対して快く思ってないものだから、「人間ちゅうのは食べたいものを食べたいだけ食べるのが本当なんや」と言うんですよ。そしてようかんを持ってきて子供の前で「ほら食べえ、食べえ」と言うんです。

「食べたいものを食べたいだけ食べるのが本当の健康なんや」というのは、これはある意味では一理あります。間違ってはいないんですけど、ようかんを口の前まで持って、「ほら食え、ほら食え」ってやるんですよ。子供は「もう食べない」と言って、泣き出しそうになってるんです。本当は食べたいのを食べないって頑張ってるのに、食え食えと口の前まで持ってきてやってるので、さすがに私も「なんちゅうやっちゃ」と思ったんです。子供が可哀想だから仕方ないので「やめてくれ、大体食べ過ぎることだけでも毒なのに、これは砂糖を使ってるじゃないか。子供にとっては毒なんだ」…そしたら今度はお袋が怒りますね、「私が作った物が食べられないのか」って。それで私が「いやそういうことじゃなくて、黒砂糖で作ってくれたものなら喜んで食べるけど、これは三温糖が使ってある。きび砂糖が使ってある。これはあんまり身体に良くないんだ」と言いました。そしたらお袋が、「実は黒砂糖を切らしとるんや」…いつもは黒砂糖を使うけれど、たまたま切らしていてきび砂糖を使ってたんです。それがバレちゃってるから、悪いなと思ったんでしょうね。私は「批判してるんじゃなくて、たまたまそれを使ってるんで食べられないんだ」と言ったら、納得して機嫌を直しました。子供が泣き出しそうになってるから、「食べ物が悪い」という話に方向転換して、その場を切り抜けたわけです。それで結局食べなかった。

私がお爺ちゃんだったら、「遠慮しないで食べろ」と言って「要らない」と言われたら、子供が食べたいものを食べないで我慢するのを誉めてあげますよ。自分の意志の力で食べたいのを我慢してるんですよ。その我慢するところを見つけて「我慢できる」ということをポッと入れてやるんです。そしたら凄い我慢強い子になるんです。それを意地になって「食え食え」とやるから、こっちが子供を守るのに一生懸命防衛戦張ってやらないといけない。その場は何とか切り抜けて、その日はそのまま寝たんですけど、自分のことで私が父親とケンカのような状況になった訳で、子供は傷ついてるんです。

次の日、家の2階で私が子供に「とも君昨日なあ、お爺ちゃんがようかん食えと言ったのに食わなかったなあ、どうして食わなかったん?」と聞いたら「食べようと思わなかった」と言う返事。私は「そうか」と言ってそれ以上何も言いませんでした。話をそこに持ってきて意識の焦点をそこに集めたんです。そしてそれ以上何か言いたい素振りをして言わない。これがコツなんですね。意識の焦点をそこに集めさせておいて私が先に1階に降りたんです。そして子供が2階から降りて来た時に「とも君は我慢強いからなあ、悪い物は食べない」…とボソッと言ったんです。

それまではうちの子は、親戚の家などに行って甘い物が出たらそれを食べていました。いちごのショ−トケ−キとか。でもそれ以来一切食べなくなりました。私が「この子は悪いと思ったものは食べないから」…とボソッと言ったら、それ以来全く食べなくなったんです。「我慢強い、意志が強い」とボソッと言うんです。これが意志を育てていくコツなんですね。子供の状況を親が敏感に察知して、その子供のよい特質を見抜くんです。そして子供の意識の焦点を一旦そこに集めさせておいて、気を抜いたときにボソッと言ってやるとパッとそのことが潜在意識に入ってその子がそうなっていくんです。そしてとても意志が強くて我慢強い子になるんです。自分の欲望をコントロ−ル出来る子になるんですね。

私が言いたいのは、5歳から7歳は自分の欲望をコントロ−ル出来る様にしつけていくべきだということです。そうすると、おもちゃが欲しいと思ってもそれが我慢できる子供になるんです。そこに父親が決定的な意味を持っています。そういう理性や忍耐心を養うには父親が誘導しないといけません。それまでは母親がもの凄い比重を占めてるんですけど、「理性」とか「我慢すること」を教えるのは父親の役割なんです。そういう風に育てていくと子供は本当に素直に忍耐強く育っていきます。

この前こういうことがありました。通信販売でおもちゃを買ったんです。「くるくるスロ−プ」と言って、上から玉を降ろすとくるくると羽車が回ってポトンと落ちて、カラカラと階段を下りてくるんですね。「ああ、来た来た」と早速箱を開けてみました。子供と私は組み立てだしたんですが、妻が部品が揃っているか確認してみました。すると部品が足らないんです。これは返品しないといけません。「あれ?これ足らないわ」「えっ、じゃあ返品か」…子供はもう遊べると思ってるわけでしょ、すでに組み立てだしてるんですよ。「とも君、これは部品が足らないから返さないといけないね。返してまた帰ってくるまでにまた一週間位かかるよ」…普通の子ならわ−っと泣き出すと思いませんか?でも、全然泣かないんですよ。「返さないといけない、あと一週間位待たないといけない」と言ったら、全部出したものを納め出すんです。それで全く泣かない。そういう風になるんです。ですから子供の心をちゃんと理解して上手く誘導してやると、後が凄く楽なんです。その方がちゃんと意志が強くて思いやりのある子に育ちます。7歳までの育て方はそういうことが大切なんです。

続く

2007年3月22日 (木)

子供たちの心を感じられますか 16【子供の意志を育てる】

親、特に男親がやらなければいけないのは、しっかりと善悪を教えることです。その時にも子供の意志を尊重して教えないといけません。子供に選ばせていくという形でです。うち(竹下家)では食べるものにかなり気を付けているので、添加物の入っている物とかは子供に一切食べさせてないんです。でも「これは悪い食べ物だから食べてはいけない」と言ったら子供の意志が育ちません。そうではなくてちゃんと説明しないといけないんです。そして子供に選ばせなければ、子供の意志は育ちません。うちの子供はアイスクリ−ムなどをまだ食べたことがありませんが、その代わりに、うちの妻が一番良い牛乳を買ってきて、ヨ−グルトを自分で作って、それに和三盆糖という一番良い砂糖、白砂糖と違って非常に健康に良い和三盆糖を入れて、シャ−ベットにして食べさせるんですね。これが私もびっくりするほど美味しいんです。今だかつてあんなに美味いものを食べたことがないという位美味しいんですよ。それを食べさせます。いったんそうやって本当に美味しいものを食べさせたら、町に出てアイスクリームなどの市販されたものを食べても、味の違いがわかりますよね。そういうことをやって味覚というのを鍛える。どっちが美味いかを識別させるという風にしていくと、子供というのはまずいものをまずいと言うようになるんですね。すると悪いものは自然と食べないんですよ。

そして子供に簡単な判断の方法を教えるんです。食べものでも、水でも何でもいいんですが、例えば非常に良い水と水道の水がありますね。ふたつのコップを持たせて、「とも君ちょっと持ってごらん、どっちが体が楽?」いつも聞くんです。皆さんもやってみて下さい。良い水を持つと呼吸がとても深くなります。腹まで息が吸える。悪い水を持つと深く息が吸えなくなります。浅い呼吸になるんです。凄く簡単ですよ。食品が良い物か悪い物かも凄く簡単に判断できます。手に持ってみて息が深くなったら「ああ、これは良い物だ」と分かるんです。とても簡単です。子供にいつもそうやって判断させるんですが、食べることを禁止するわけじゃないんです。食べてもいいよと言います。その代わり、「ちゃんと調べてごらん、どうなる?」と言うと「こっちがいい」と自分でいいものをちゃんと選ぶんです。で、そっちを食べさせる。味の違いがわかるからまずい物は食べなくなる。「食べちゃいけない」と言ったら自由意志を侵害することになりますけど、ちゃんと選ばせて自分が「こっちが良い」と言うものを食べさせるようにしたら、自分の意志が育つんです。「必ず子供に選ばせる」ここが重要です。

この前のことなんですけど、うちの子供の通っている小学校は広島の田舎なんですけど、いまだに制服を着させるんですよ。その制服がまたポリエステルで、ペラペラで何でこんな値段がするんだろう、といったものなんですが、「これは母親が洗濯するのは楽だろうな、シワもつかないし…」と思いました。大体ポリエステルというのは人間の体に良くないんです。仕方ないから校長の所に行って、「うちは普段からポリエステルを着せてないんだ、制服が決まっていてポリエステルだから困るんだ、何でいまだに制服なんだ?」と話したんですね。決まっているものは仕方ないから「うちで綿かなんかで縫って、それを着せて行ってもいいか?」と聞いたら「いい」ということなんですね。「他の子と違うけど、よく似た色でうちの妻が縫ったものを着せるが、それでもいいか?」と聞いたんです。ひょっとしたら「だめだ」と言われるかもしれないから、先に教育委員会にも電話して「制服着用の義務はあるのか?」と聞いたんです。そうしたら教育委員会は面白いことを言いましたね。「そういう質問は初めてなので調べて折り返しお電話差し上げます」と言って2時間後に電話がかかってきました。多分県の教育委員会に聞いたんでしょうね。電話がかかってきて、「一応校則というのがあって団体生活を学校では学ぶということになっている。学校で制服というのを決めている訳ですから、是非団体での生活を学ぶと言う意味で制服を着用していただきたい」という返事が返ってきたんです。私はそれを聞いて「ああ、なるほど。ということは、着用義務は無いんですね」と聞いたら「無いです」…要するに「学校の校長先生とか教頭先生と話し合って、制服を着なくて良いという許可が得られた場合は私服でも良いんですね」と聞いたら、「そうです」…ということをちゃんと取り付けたんですね。

多分教育委員会から学校に「こういう親がいる」って連絡が行ってたんでしょうね。私が学校に行ったら、割と簡単に制服を自分たちで綿で作っても良いという許可が出ました。それで妻が縫って作りました。初めて本を見ながら制服を作ったんですよ、ミシンで悪戦苦闘してました。制服が出来たのは入学式の一日前でした。うちでは指定の制服もちゃんと買っていました。そして妻が作ったのをちゃんとアイロンがけして、子供に二つを見せて「とも君持ってごらん」と比べさせました。綿の制服を持たせて、次にポリエステルの制服を持たせてみて、「どっちが楽?」と聞いたら「こっちが楽」…もう全然違うんです。ポリエステルの方を持ったら呼吸が出来ないです。息がほとんど吸えないです。綿の方を持ったら呼吸がとても深く出来るんです。「どっちを着ていく?」「こっち」…と綿の方を選びます。子供がこれで良いと決めて着て行ったんだから、何の問題もないんです。よく見ないとわかりませんけど、学校に行って自分だけ少し制服が違うんですよ。でも、子供は何も気にしていないようです。それは自分で選んだからなのです。私はいつも子供に言ってます。「制服が違うって言う友達がいるかもしれない。もしかするとそういう些細なことでいじめられるかもしれない。だから他の子と同じようにポリエステルの制服が着たいんだったら着なさい」…とね。「別にそれはかまわないから。ただ、『僕はこれが楽だからこうしたい』と思うならそうしなさい、どっちでも良いから」と、いつもそう言ってるんです。子供を学校に入れるのは大変なことなんですよ。そう言う意味で言うと世間の母親は楽してるなあ、と思いますね。子供に選択させる道を選ぶと母親も父親も労力は倍になります。

また、うちの子供はずっとサンダルか草履で歩いてます。だから足の形は素晴らしいです。靴を履いてないので、親指が外に反っていて原始人みたいな健康な足をしてるんです。いつも靴を履いていると親指が中に入ってきます。ひどいのは外反母趾になってしまいます。それが、本当に健康な足というのは親指が外に反ってるんですね。足の指が開いてるんです。ずっと草履を履かせてると素晴らしく健康な足になります。ところが初めから靴を履かせると、不自然に指が中に、内側に寄った足になるんです。足の形が良いというのは即健康に繋がりますから、うちでは靴を履かせずに育てました。福岡に3歳位まで居たと思うんですけど、大体裸足で歩かせてたんですよ、靴下だけで。靴を履いてないんで直ぐに靴下に穴があくんですが、そっちの方が健康に良いのでそうやって歩かせてたんです。それを見たお爺さんが「これはええことやっちょる」と誉めてくれました。健康のためには靴を履かない方が良いに決まってるんです。靴を履かないでいると、足を多少傷つけたりしますよね。そうすることによって免疫力がつくんです。それを保護すれはする程人間の体は弱くなるんです。

ところが学校では靴も決まっていました。学校に行ったらバレ−シュ−ズを履けとか、全部決まってるんです。これはやっぱり掛け合いに行かないといけない。「うちの子は草履しか履いたことが無いんだ。通学の時は靴を履くようになってるけど、うちの子が草履が良いと言ったらそれでも良いか」と交渉して…。こんなふうにひとつひとつの問題をクリアしていくのは大変です。本当に父親の労力も倍になります。だけど子供の意志を尊重するということは子供に選ばせると言うことなんですね。ちゃんと自分で考えさせて、自分でどちらが良いかを判断させて、僕はこういう理由でこっちが良い、だからこうする。…これだったら問題は起きないし、とても意志が強くて頭の良い子に育つのに、全部学校は、服はこうだ、学校行ったら体操着だ(これもポリエステルです)、スリッパを履け…何から何まで決めている。学校のものの考え方というのは、子供の自由意志とか個性を全く尊重してないように思います。そのくせ一方では「これからの教育は個性を尊重します」とか言ってる。言うこととやってることが全然違うんですよ。子供を型にはめることばっかりやってる。全く逆をやってるんじゃないかと思うんですけど…。子供は自分で判断するようになると「自分がこれが正しい」と思うことをやるようになるんです。

続く

2007年3月21日 (水)

子供たちの心を感じられますか 15【子供は超能力者】

学級崩壊についてのテレビ番組がよくありますね。うち(竹下家)の子供が5歳か6歳に時にテレビで小学校の授業風景を見て、凄いショックを受けていました。何にショックを受けたかというと、学校の授業風景が騒がしいことです。「うるさい、僕はあんなにうるさい所に行きたくない」と言うんです。信じられないでしょうが、本当なんです。今は小学校に入ったんですけど、「授業で先生がうるさい」と言ってるんですよ。どうしてかというと、生徒がザワザワ言って先生の話を聞かない、だから先生はつい大声で喋る、それがうるさいんです。「先生がうるさいから嫌だ」…その位静かな子なんです。彼にとっては辛いでしょうけど、それぐらい他の子と違うんですね。

ちょっと考えてもらいたいのは、非常に心身が安定していて落ち着きのある子供と、そうでなくていつもソワソワしていて落ち着きがなくて人の話が聞けない子供とどっちが頭の良い子になるかということです。多分結果は言わなくてもわかるでしょう。本当に頭の良い人というのは勉強しなくても出来るんです。どうしてかというと、授業で先生の話をちゃんと聞くからです。ちゃんと聞いて何を言っているかを理解して、それで終わりです。家で何にも勉強しなくても出来ます。この方が楽ですよね。家では遊べばいいのだから。けれど学校で全然先生の言うことを聞いていないと、家で復習をしないといけない。それでも足りないから塾にも行く訳でしょ。そうすると、遊ぶ時間が足りない、寝る時間が足りない、疲れる、疲れるからやっぱり授業が聞けない。この悪循環に陥っていく。今の子供の学力って私たちが子供だった時と比べても、とても学力が低下していますね。だから指導要領を見ても、私たちの時には習ったものがたくさん削除されている。例えば算数でも文章題、応用問題は無くなりましたね。私たちの世代は、「旅人算」とか色々やったでしょ?あんなのはもう全部消えてしまっています。何故かというと、難し過ぎて先生が教えられないからです。算数の面白い所が全部消えてしまいました。私たちの頃は中学校の時に、「たすきがけ」という因数分解をやりましたが、今はそれも消えていますね。どんどん簡単になっていますが、それだけ子供の学力が低下しているからです。

何故学力が低下するかというと、学校で疲れ、その上塾に行くからです。ヘトヘトに疲れきってしまい、もう勉強する気なんて無いんですね。だから子供に、「自由な時間があったら何したい?」と聞くと、「遊びたい、寝たい」と言うんですね。これで勉強する意欲がある訳がない。世界で教育家とか建築家とかいった創造的な仕事をしている人たちがいますね。その人たちは子供の頃には野山でたくさん遊んでいますよ。そしてそういう人たちは皆、勉強しすぎるから馬鹿になるんだと同じことを言うんです。本当は勉強はとても楽しいものなのです。子供というのは学ぶ力を持っていて、知りたいという欲求をみんな持っている。それを無理矢理勉強させるから嫌になるんです。ところがそうさせないで自由に学ばせたらどんどん人間は学ぶんですね。そういう学ぶという楽しさを知っている人は一生学び続けます。ところが小さい頃から無理に勉強させられる。宿題出されて塾に行かされて疲れ切っているから、大学に行ったらこれで解放されたと思って全然勉強しないでしょ。社会に出たら 勉強しませんよね。そういう子供と、学ぶことの楽しさを知って一生勉強し続ける人とでは、70歳、80歳になった時にどれだけレベルに差がつくかわかりますよね。

文字や計算を教える以前に、もっと大切なことを教えないといけません。それは、ちゃんと人の話が聞けるということです。これはとても大事なことです。人が話していることをきっちりと聞ける子供というのはとても頭が良くなるものなんですよ。どうやってそういう子に育てるかというと、親が子供の言っていることをちゃんと聞かないと無理です。子供って親にとってはつまらないことを言うものです。いつも同じようなことでつまらないことだと思って親がちゃんと聞く姿勢や態度を示さないと、子供は同じ様に振る舞うんです。それは当たり前でしょう。子供にちゃんと聞く耳を持つようにしたかったら、親がちゃんと子供の話を聞かないといけない。そういう風に子供に接しないといけない。そういう風に育てようと思ったら、今の生活は忙しすぎますね。親にゆとりが無さすぎるんです。親が生活に追われていて、子供の話をゆったりと聞く時間が無いんです。「何してるの、早くしなさい」という生活なんですね。「ぐずぐずしないで早くしなさい」と追いまくるでしょ。そうやって育てていると子供は「自分はグズだ、ノロマだ」と思ってしまう。そのうち「自分は無能だ」と思ってしまいます。そうやって自分が馬鹿だと思うと本当に馬鹿になっていきますからね。それでは全く逆をやっていますね。子供のペ−スは一人一人違いますので、それを認めてやって、子供のペ−スで生活を形作ってやるだけの余裕がこちらに無いといけない。そんな余裕が大人の方に無いんですよ。これが最大の問題ではないかという気がするんです。そういう意味で言うと、大人の心のゆとりと言うか、そちらの方が子供を育てることに関して非常に大きな問題です。

心の中で、明日の会議のこととか、仕事のセ−ルスのこととか、晩ご飯のおかずは何にしようかとかを考えていたら、子供をちゃんと抱けない訳です。私は1歳半位まで子供を抱くことが本当に大事だと何度も言ってますけど、抱いている時に考えごとをしていたら、これは抱いていることになっていないんですね。これは物を抱いているのと同じなんです。子供はそういうことを非常に敏感に感じるんです。私が妻に何か話しかけようとして、妻の方を向いてそれから話しかけますね。子供って凄いですよ。私が妻の方を見ますよね、この瞬間子供は遊んでいてもわかるんです。おもちゃで遊んでいるんですよ、なのに私が「あ、妻にあのこと聞かなきゃ」と思ってふっと向こうを感じますね、子供はふっとそれに感じて遊びを止めてお母さんの方にさっと向くんです。そしてお母さんの方にさっと抱かれにいくんです。私が妻に話しかける言葉を発した時には、もう子供は母親の所にいるんです。これはほとんど超能力です。要するにこれは武術の達人と同じことをやっているんですよ。武術の達人というのは、敵が攻撃しようとする「気」を先に感じる、そして先回りをして防御します。子供も同じことをやっているんです。私が妻に話しかけようとする「気」を読んで、気が母親の方に行った瞬間におもちゃで遊んでいてもそれに気付いて、タカタカと走り寄ってぱっと抱かれに行く。話し始めたら必ず子供が間にいるんですね。ところがだんだんと言葉を話せるようになって、おもちゃとかに興味が出てくると、そういう能力が少しずつ薄れていくんです。私が気を母親の方に向けて話し始めますね、すると子供はそれを感じてますが、もう遅れています。もはや武術の達人じゃなくなっている訳です。私と妻が話し始めたら、「ねえねえねえ、お母さん、新幹線てねえ」…という感じで、どうのこうのと話を中断しに来ます。母親を取られては嫌だから、お父さんとお母さんが仲良く話してるのが気に入らないので、必ず割ってくるんです。子供というのは、母親の心がどっちに向いてるか初めから知っているんですね。父親が母親の方に気を向けたら、パッとわかっちゃう。三歳位でそうなんですから、一歳とか半年とかだともっとわかってるんです。「お母さんは私を抱っこしている、だけれど全然心は別の所に向かっている」…それがわかってるんです。これじゃあいくら抱いても子供は満足しません。子供が本当に満足するためには、ちゃんと抱いて、子供の顔をちゃんと見ないといけないです。そして時々話しかけないといけないです。そうしないと子供は満足しないのです。ですから、こんなに抱いてるのに夜泣きするという場合は、ちゃんと抱いてないということです。ちゃんと抱くというのと、物理的に抱くというのは別の次元のことです。心が入っているか、いないかなんです。ですからこの区別がつくことが母親、父親にとってとても重要なことです。

私が言いたいのは、ちゃんと抱いて子供を育てたら子供はとても落ち着いた子供になる、思いやりの深い子供になる。ところがちゃんと抱かないで育てると自分は大切にされていない、充分愛情をもらっていないと思うんです。すると母親から愛情を取らないといけないから、丁度子供がカブトムシを「生きてるかな?」とツンツンつつく様に、母親をつつき出す訳です。母親が家事をしている。食事を作るのに忙しいから、「ねえねえ、お母さん」と子供がうるさくして自分の方に振り向かせる行動を取る。母親はそれがうるさいから、「うるさいから向こうに行っててよ」と言う。そうすると自分は愛されてないと思って不安になってまた何かする。この悪循環になってどんどん不安になって、最後は悪さするようになってきますね。物を壊したり怪我したりする。これを母親が、「この子は自分が愛されていないんじゃないかと思って不安になっている、これは自分が間違っている」と思って、子供を大切しようと思い直して、抱っことかしてあげれば子供の不安も解消できて素直になるんですけど、普通はそうは受け取らない。わがままだ、と思って叱るんです。親が「本当にわがままだ」とか「グズだ」とか「悪い子だ」とか言うと本当にどんどん悪い子になるんです。ところが、子供が本当に愛情を要求しているという風に受け取って、母親が改心して、充分に愛情深く育ててやると子供は変わっていくんです。

愛情深く育ててやると、子供は母親が本当に喜ぶことをよくしてくれるものです。ここを絶対に見逃がさないことが大切です。母親が洗濯物を片付けているのを 子供は見て、子供なりに片付けていたんです。手伝ってるつもりなんですが、母親から見たら散らかしてる様にしかみえない。でもそこでちゃんと意を汲んで、 「ああ、この子は私がやっていることを手伝ってるんだな」と思って「ありがとう」と言ってやるんです。そしたら子供はどんどんと手伝うようになります。例 えば、母親や父親にこういう風に聞くようになります。「ねえねえお母さん、こうやったらお母さん助かる?」「凄い助かるよ」…すると母親は、この子は思い やりのある子だな、優しい子だな、人のことが気遣える子だなと思えるでしょ。そう思えたら、さりげなく言ってあげる、ヨソを向いて隣同士で世間話してるよ うな時に「この子はね、こういうことをしてくれるんです、思いやりのある子なんです」とさりげなく言うんです。そういう親の何気ない一言を、子供はちゃん と聞いているものです。そうすると思いやりのある子にどんどんなっていきます。これが非常に大切な秘密で、「あなたは思いやりのある子ね」と直接本人に向 かって言ってはいけないんです。潜在意識に言葉を入れるには、「私は」とか、「とも君は」とかいう主語を使わなければいけません。相手に面と向かって言っ たら入らない。相手が気を抜いている時に誰かと世間話してるような時に、「とも君はとても優しい子だから」とボソッと言う。そしたらパッと潜在意識に入っ ちゃう。

本当に充分愛情深く育ててたら、子供は必ず親を助けようとすることがあります。そんな良い所を見つけたら、「優しい子だな」と親が本当に思わないといけな いんです。親が本心からそう思って、ある時を捕まえてそれをボソッと言う。するとその性質がどんどん育ってとても思いやりのある優しい子になっていくんで す。そういう基礎をきっちりと作っておいて、それから思春期の誘導に入っていきます。そして5歳〜7歳の間にだんだん物ごとの善悪が判断できるように なってくるんです。

続く

2007年3月20日 (火)

子供たちの心を感じられますか 14【充分に抱く】

今回も7歳児までの子供の関わり方を中心にお話します。というのは7歳までが教育とか子育ての急所なんですね。ここまでがわかると後の子育てはとても簡単になるんです。いわゆる反抗期というのは5歳前後で始まりますが、ちゃんと育てると、反抗期というのは全然ないんです。少なくとも5歳前後の反抗期というのは存在しなくなります。けれども多くの親が子供の反抗期で手を焼いてしまうのは、子供の独立要求という「自分も大人と同じようなことが出来るんだ」という意志表示をするんですけど、その気持ちを育まないで、わがままだという風に見て叱ってしまうんですね。それで一見「反抗期」のように見えるのです。ですからそういう時期にきちっと誘導出来るようなものの見方が出来ればいいのです。またそれを思春期の「第二反抗期」に応用すればいいのです。思春期はもっと難しいですよ、子供の個性を見抜かないといけないですからね。だから基礎が出来てないと思春期の話をしても全然わからないんですね。独立の要求をいかに導いていくか、それが5歳から7歳の育て方の急所になります。ところが、それ以前の愛情の要求をちゃんと満たしていないと、正しく育てることが出来ません。

どんどんさかのぼっていって、どこが出発点になるかというと、実はお腹の中にいる時なんです。これが大変な問題なのです。というのは時間をさかのぼればさかのぼるほど、時間の密度が濃くなるからです。お腹の中にいる10ヶ月間というのは、この世界に生まれてきての6年間位に匹敵しています。いや、もしかしたら10年に匹敵するかもしれません。赤ちゃんがお腹にいるこの時期に正しく育てていないといけなくて、本当のことを言うと、出産してからでは遅いんです。そう言ったらほとんど絶望的な気がしますね。実際のところ子供をちゃんと作るとか育てるというのは、これほど覚悟のいることで、仕事で成功を得ることの方がよっぽど簡単なんですね。その位の覚悟がいると思って欲しいのです。

まず、「お腹の中に赤ちゃんがいる時にそのことを喜べる」というのが一番大事なのです。これはなぜかというと、お腹の赤ちゃんというのは大人の心を全部テレパシ−的に感じているらしいからです。母親、父親が「自分が生まれてくるのを喜んでいない」という場合、それは胎児には筒抜けで全部わかってるんです。自分のことを「本当は生まれてきて欲しくない」と母親が思っている、あるいはお父さんは自分が「生まれてきて欲しくない」と思っている、それが全部わかってるんです。これはお腹の赤ちゃんにとって大変恐ろしいことです。これは本当ですよ。最近、科学者もそういうことを言い出しているのです。「自分の存在が否定されてる」って辛いでしょ。大人でも辛いですよね。会社に行って「お前は要らない、役に立たないからいない方がいい」と言われたら辛いですよね。それよりももっと根元的な部分で拒否されているのだから、それを知って生まれてくる子供は初めから不幸だと言っても過言ではありません。母親や父親が妊娠したことを心から喜ぶのが大事なんです。お腹の中にいる時に心からお腹の中の子供に話しかけてあげる、そうすると子供は全部理解するんですね。そういう絆をちゃんと作ってから生まないといけません。もし、自分が「大切にされてない、出産を喜ばれていない」ということを赤ちゃんに知られた上で生んでしまうと、後がとても大変です。この出発点ですでに多くの人が誤ってるなと感じています。そうすると後で取り返すのが大変です。

「ちゃんと育てる」ということは、充分に愛情深く育てる、簡単に言えば「充分に抱く」ということです。これが急所です。子供を育てる時の急所は、もうこれでもかというくらい抱くことです。子供が起きている時はずっと抱いているというくらい抱くことが大事なんです。これは猿の実験などでも証明済みです。猿にも良い母親とそうでない母親がいるんですね。愚かな母親は子供を全然抱きません。ひどい母親だと子供の餌まで自分が取っちゃうんです。そういう母親に育てられている猿って本当に貧相で可哀想な顔をしています。とても哀れな顔をしてるんです。ところが一方で良い母親は、いつも子供を抱いてるんです。子供はしがみついていて、全然顔が違います。抱かれてる方の子供の猿はとても心が落ち着いていて情緒が安定してるんです。見た目にも明らかで、落ち着いています。けれども子供の餌をとるようなひどい母親だと、いつもとてもイライラ、おどおどしてるんです。それだけを見ても充分わかるんですけど、科学者はさらに血液を採取して、その血液中の成分を調べてみました。すると、セロトニンという物質の量が全然違うのです。脳内物質のセロトニンが多いほど心が落ち着いているということなんですが、それが倍以上違うんです。科学者は「3歳までにセロトニンの量が決まってしまう、それ以上は増えない」と、恐ろしいことを言っています。私(竹下氏)はそうは思っていなくて、多分非常に大きな意識の変換など、何かのきっかけで変わることはあるでしょう。けれども通常はなかなか変化しないかもしれないですね。3歳位まで非常に落ち着いた環境の中で、ゆったりと充分に大切にされて育った子供というのはセロトニンの量が多いのです。そうされなかった子供のセロトニンは少ないのです。その後普通に育った場合には、一生変わらないと科学者は言っています。かなり怖い話ですね。要するに猿の実験ではその差はどこから出るかというと、充分に抱かれているかどうかで決まるのです。これは猿だけじゃなく、多分人間も同じだと思います。

少なくともうちの子供を育てた経験では、このことは決定的な意味を持っているように思います。うちの子は、おしっこ、うんこ、それから食事…おっぱいをやる時ですけど、それらの時以外でも、起きているときはずっと抱いていました。抱いていない時はほとんど寝ている時ぐらいなんです。必ず私か妻のどっちかが抱いていたんです。普通は迷信で、「抱き癖がつくから、あまり抱いちゃいけない」と言いますよね。けれども現実には抱き癖は全くつきませんでした。実際には一歳半位で歩けるようになったら全然抱かれに来ないです。それが逆に充分に抱かないで育てると、3歳になっても5歳になっても抱かれに来るんです。愛情が足らないから、充分に大切にされている自覚がないからいつまでもお母さんに甘えてきて「抱っこして」と言う、お母さんにしてもらえない時はお父さんに覆い被さって来て「肩車して」と言う。私は肩車したことなんか一回もないです。そういう風にしてくれなんて一言も言わないんですよ。最初の一年半充分に抱いて育てると後がとても楽なんです。でも、後が楽だからそうやるんじゃなくて、それが大切だからそうしているのですけどね。すると本当に落ち着きのある子供に育ちます。

続く

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講師:竹下 雅敏
プロフィール

1959年生まれ 広島県在住。
広島の山村で親子三人の田舎暮しをしている。色彩と身体のエネルギーの関係、中国医学、アーユルヴェーダ、食と健康など幅広い分野の研究活動を行なっている。
質素な生活であっても豊かさを感じられるように、心のもち方、家族とのかかわり方など、独自の考えを実践し、霊性、医学、教育、政治経済、食文化など、幅広い分野の講演活動を行っている。鍼灸、気功、ヨーガセラピー、医学、心理学など、様々な分野の研究者の指導と人材育成も手がけている。

2007年1月15日 (月)

子供たちの心を感じられますか 13【欲望のコントロ−ル】

○ 何故突然怒りだしたのか…?

実は私(竹下氏)にも子供が「どうしてこういう行動を取るのか?」がわからないことがありました。「とも君、ちょっとこれよけてくれないかなあ、歩きにくいか ら」と妻が言いました。それに対して子供が猛然と腹を立てて怒り出すんです。これはさすがの私もわからない。前後関係がない。それまでニコニコして普通に 遊んでいました。私は「何故この子はこんな不思議な対応を取るんだろうか?」と、子供を怒らないで「面白いな、不思議だな」と思ってよく観察するんです。 でもこの時はそれでもわかりませんでした。

結局この理由がわかるのに3ヶ月かかりました。あの時まではとても良い子だった、あの辺から急にこんな風になった。何があったんだろう。私が何か間 違ったことをやってないかとずっと思い出すんですね。でも思い当たることがないのです。それでもジ−ッと思い出そうとしていると、「ああ!」と思い当たる ことが出てきました。そういえばあの頃から子供と駆けっこをして遊ぶようになったことを思い出したんです。家の外に出て、10メ−トルか15メ−トルしか ないんですけど、どっちが早いか走ろうってやったんですね。全力で走ったら絶対に親の勝ちですよね。5歳ですから、親心として普通誰でもわざと負けてあげ るでしょ。「ああ、とも君は駆けっこ速いねえ」と言って、大体5回に4回は負けてあげたんですね。それを思い出したんです。その頃から奴の態度がおかしく なりだしたことを、やっと三ヶ月目に気づいたんですね。それまではわからなかった。

その頃見たテレビ番組で、犬のしつけについて扱ったものがありました。犬を連れて散歩をして歩いてますね。犬のほうが人間より先に歩いていると、犬 は人間よりも自分の方が上だと思っているらしいんです。本当にそうらしいですよ。どう考えたって人間様が偉くてこっちが餌を与えているんでしょ。ところが 犬はそう思ってないんですよ。これは犬の立場では自分が上位なんです。自分が主人で人間が部下なんです。だから犬を調教する人は絶対に犬を人間より先に歩 かせてはいけないんです。人間より先に歩かせないことを学ばせてはじめて人間との上下関係が出来て、人間が上位で犬が下位になるんです。そうすると犬は、 この主人は俺よりも上だと思うんです。すると犬は主人の言うことを必ず聞きます。それで、「これだ!これだったんだ。これはわからなかった…」と思いまし た。

私が駆けっこで何度も負けてやったので、子供は自分が父親よりも上の人間だと思ってしまった。上だと思っているのに相手から、「とも君、ちょっとそれ片づけてよ」と言われたら、「何故部下が俺に命令するんだ」と思ったんです。上 司から言われたら「これ、君間違っているよ、こうしたまえ」「はい」と素直に従いますよね。だけど自分より明らかに格下だとか自分の部下だと思う人に、 「あのう…部長、ここおかしいですよ、こうした方がいいですよ」と言われたらムカッときて「この野郎」と思うでしょ。全くこれと同じなんですね。つまり私の態度の何が間違っていたかというと、駆けっこでわざと負けちゃいけなかったんですね。

動物の場合、例えば犬が上位と下位をどうやって決めるかというと、簡単です。対等な犬同士が、どっちが上か下かわからない時はケンカして噛んで、ど ちらかが鳴いた方が負けですね。猿の場合はマウンティングっていう行動があるでしょ。雄の上にボスの猿が乗る行動をします。子供の様子を見ていたら、私に 対してマウンティングをするんです。以前は絶対に私の上には乗ってこなかったんです。横になって休んでますね、私が子供を抱っこして体の上に乗せますね。 すると子供はスッと嫌がって逃げていたんです。ところが駆けっこに負けだしてから、自分から乗ってくるようになったんです。これはマウンティングだという ことに気づいたのです。それから、私が肘掛け椅子に座って休んでると、子供が足をこう持ってきて股間を押しつける。自分の股を擦りつけてくるんです。私が 子供に「とも君、お前それマウンティングしているだろう」と言うと、子供はドキッとして、「しないもん」と言いましたが、もう図星なんです。マウンティン グというのはそういうのだけじゃなくて、まるで子供がじゃれているみたいに父親の背中にまたがってくるというのもマウンティングなんです。お父さんにまる で甘えているみたいでしょ、肩車みたいに「抱っこ、抱っこ」って上から覆い被さるようにしますね。これもマウンティングです。子供が自分の父親よりも上だというメッセ−ジなんです。そういったらいっぱいやっているでしょ。ほとんどの家庭では子供に「自分がボスだ」と思われてますね。

それで私は、これはちゃんと子供に教えないといけないと思って、子供に「お前、何か勘違いしているだろ。お前は自分が上位だと思っているだろうが、 お前は上位じゃない、俺が上位なんだ」とちょっと怒ったように言ったんです。すると「僕が上位だもん、上位だもん」と言って、自分が上位だと思っているこ とを認めるんですね。そこで「違う、お前は上位なんかじゃない。お前は俺が駆けっこで負けたから自分の方が上だと思っただろうが…」と言うと「うん」と答 えるんです。「俺はな、わざと負けてやったんだ。それをお前は勝手に『自分が実力で勝った』と思っているだろう?だから自分が上位だと思ってこういう行動 をとるんだろうが…」すると黙っている。

そして次の日に散歩に行ったんです。そうしたら何か行動が違うんです。いつもは私の2、3メ−トル前を歩くのですが、その日は10メ−トル位前を歩 いて常に後ろを振り返りながらせかせか歩いているんです。「お前、自分が上位だと思っているだろうが、お前は上位じゃないんだ」と言うと「僕が上位だも ん」と言って50メ−トル位私を引き離したんです。「お前なあ、お父さんがちゃんとやったら、お前くらい簡単に引き離せるんだぞ」と言うと、子供は必死に なって駆けっこみたいに走っているんですよ。さすがに疲れてきますよね。100メ−トル位離れた所で、私がダカダカと走り出したら子供は逃げるわけです よ。すぐに追いついて、追い越してしまいました。「待ってよ」「待って欲しいんか、俺は上位だから待ってやってもいいぞ」って言い合いながら、何度もそう やって駆けっこをして、負けてやらない。そうしたらだんだんと「本当はお父さんがわざと負けていたんだ」ということに気づいてきます。「本気でやったら勝てないんだ。本当にお父さんはわざと負けてくれてたんだ」ということを教えてやらないといけません。


○ 真の強さとは?

1週間くらいして、「お父さん、どっちが速いかやろうよ」「よっしゃ、やろうか」と駆けっこをしました。そしたら「本気でやらんといて」「えっ、本 気でやったら俺が勝つだろ?どうするんだ」「本気でやらんといて」「じゃあ、とも君が勝つんか。じゃあ、まあ、そうしようか」…そうやってあげたんです。 そしてある時に私は子供に話をしたんです。「お前なあ、本当に強いというのはどんなことかわかっているか?それはな、自分よりも弱い人に負けてあげられる 人、勝ちを譲れる人なんだ、これが本当に強いということなんだ。だからお父さんはお前に負けてあげたろう?それはお父さんが強いからなんだ。わざと負けて あげられるのが本当に強い人間なんだ」…と。

犬を飼ったらわかりますよ。ボス犬と下の犬の二匹がいるとしますね。餌をやるとボス犬が自分の分を優先的に食べてしまいます。下の犬に「ワン」と一 声吠えたら下の犬はもう食べないんです。そして残りを自分が食べてしまう。すなわちボスの犬というのは、自分はトップなんだからこれだけ食べて当然だと 思っているです。子供も全く同じです。親は子供に食べてもらいたいと思って、子供に思いやりとかを育んでもらいたいと思って、自分の分を分けて与えます。ところが子供は、自分は上位なんだから下位のものを取って食べるのは当然だと思うんです。信じられないけど、本能としてはそうなってます。

そういうことをずっとやって来ているから、この社会は今のような状態になっています。この社会は「俺には能力があるんだ、だからこれだけ儲かって当然だ」とやっているでしょ。でも私に言わせると違うんです。本当に強い人間というのは、自分が質素な暮らしをしても他の人を豊かにしようと思うはずです。お 金儲けのうまい人は「自分は才能があるから、年収が何億何十億儲けて当然なんだ」と思っていますが、隣国では飢えた人がいる現実があるわけです。彼らはそ れで平気なんです。「俺は才能があるから当然なんだ」…これはボス犬が下位の犬に「ワン」と吠えて自分の取り分を取るのと全然変わらないです。みんなそう いう思想にとり憑かれている。「弱肉強食」という考えです。私は子供に「本当に強い人というのは負けてあげられる人なんだ。自分が食べられなくても人に分 けてあげられる人なんだ」と言ったんです。「お父さんはな、本当はお前よりも強いんだ。上位なんだ。だからお前は下位だろ?上位のものは自分が食べられな くても自分の食べ物を下位に分けてあげないといけなんだ、これが本当の上位というものだ」と言ったんです。

でも、まだわかってない。それでこんなことをやりました。お汁粉の中に白玉とかが入ってますね。その時に子供が「もっと欲しいなあ」と、食べたそう にしていたんです。「とも君、食べたいか」「食べたい」「そうか、とも君は上位か下位かどっちだ?上位はな自分が食べられなくても下位に分けてやらないと いけないんだ。上位は辛いんだぞ」「下位」「そうか下位か、じゃあ、お父さんは上位だな。やむをえないな、僕の分をやらんとしゃあない、上位は大変なん だ」これを4、5回繰り返しました。そしたら食べ物を食べる時は「(自分は)下位」と言うんです。


○ あらゆる生命は平等

もちろんちゃんと教えるんですよ。「本当は上位も下位もない、人間には上位も下位もない、みんな平等なんだ」ということはちゃんと教えます。「人間 だけじゃなくて犬でもそうで、人間は犬よりも人間の方が上位だと思っている、犬は自分が上位だと思っている。でも本当は違う。どっちも上位じゃない。本当 は全然上位も下位もないんだ。たまたまお父さんがお父さん役で、お前は子供役なんだ。だから上位の役をしているだけなんだ。だから本当はだれも上位でもな いし下位でもない」…そうすることで、子供は下位の役にまわって、食べ物をもらいますね、しばらくして、「本当は上位も下位もないんだよね」と言っている んです。そうやって、本当は「人間は上位も下位もない、あらゆる生命は本当は上位も下位もないんだ」ということを私は教えたいと思ったんです。それでこう いう方法をとったんです。これは確かに成功したみたいです。

うちの子供はNHKの「生き物地球紀行」といった動物の番組が好きなんです。そしたら、「お父さん、蛇ってすごく偉いんだよね」「凄い偉い」「イル カって凄い偉いんだよね」「ものすごく偉い、多分人間より偉いかもしれない」…こんなふうに子供は、動物とか虫といった存在を、自分と同じものとして受け 止めているようで、自分が犬や猫、イルカや蛇、昆虫よりも上だとは思ってないらしいんです。この前なんかは、「手乗り蠅とり蜘蛛」とか言って遊んでいまし た。「お父さん、蠅とり蜘蛛って偉いんだよね」「多分すごく偉いと思うよ」などと話しました。

というのは私は、あらゆる生命は平等だと思っているからです。例えばアボリジニの人達が、オ−ストラリア政府が家を建ててやっても外で寝ている。普 通に考えたら「馬鹿だな、こいつは」と思いますね。ところが彼らの思想を聞いたら驚嘆するべきことで、私達の方が尊敬しないといけないくらい素晴らしい人 格なんです。イルカや熊などの動物も、実は人間より彼らの方がすごく偉大なんじゃないか、ただ言葉が通じないので私たちには分からないだけで、もし話をし たら、ひょっとしたら人間を遙かに凌駕する精神性を持っているんじゃないかと思うことがあります。私は「すべての生き物は同じであり、上も下もない。ただ 役割として上か下かを演じているのではないか」と感じています。もう少しわかりやすく言うと、会社の中で部長や課長や平社員がいますけど、役割としては上 と下がないと会社が運営出来ないですよね。だけど部長と平と「どっちが人間として上か?」と聞かれたら、方便としての役割とは何の関係もないでしょう?… だからそういうことを子供に教えたいのです。そのための方便として「どっちが上位でどっちが下位か」という ことを通過しないといけないと思うんです。私がつくづく感じたのは、子供が5歳から7歳の、そういうところを通過する時というのは犬とか猿と同じなんです ね。民主主義が通用しない。そのため方便として上位とか下位を作らないといけない。だけどそこで止まってはいけない。人間なんだから、その先にある真実も教えないといけない。とりあえずは「親のほうがボス」でないといけないんです。そうでないと子供がしつけられない、親が上位で子供が下位でないとしつけは出来ないです。自分と同等の人間だと思って子供の人格を認めるんだけれども、方便として親が「上位の役を演ずる」んです。そしてしつけていく。

なぜそうする必要があるかというと、5歳から7歳ぐらいの子供は上位の言うことは聞くんですが、下位の言うことは聞かないです。5歳から7歳で大脳 の両方が次第に繋がっていき、そうすると善と悪がわかるようになってくるんです。すると子供は善悪の判断に従って、積極的に自分の欲望を押さえつけようと します。自分で自分をコントロ−ルしようとし始めるんです。どうやってそれをやるかというと「親を見習うことによって」です。例 えば親が「これはあまり良い食べ物じゃないからこんなのを食べちゃいけないんだよ」と言うと、子供はそれを見習って食べるのを我慢するんです。そういうこ とをやり始めます。そしてそれをさりげなくほめてやる。「とも君は食べなかったなあ、でも食べたかったんだろ」…そしてそれ以上は言わない。それでよそを 向いている時に、「とも君は我慢強いからなあ」とボソッとほめる、そうしたら、よそに行った時にも、これは悪い物だと思ったら食べない。今の子はどうも、 こうした欲望のコントロ−ルがほとんど出来ないようです。それは親が子供が自分の欲望をコントロ−ルしようとし始める時期に、それをちゃんと認めて、ほめ てあげてないからです。それが5歳から7歳なんです。

続く

2007年1月13日 (土)

子供たちの心を感じられますか 12【内省による心の探究】

○ ほめ方のコツ

子供とうまくいっていない親は、子供をチラッと見て、あとは見ていません。よく見てい る時はいつかというと、腹を立てている時なんです。今から怒ろうとする時によく見ているんです。これではまずいです。普段からよく見れば見るほど親子関係 や夫婦関係は良くなります。極端な話、よーく見ていると癌細胞でも愛せるようになるんですよ。癌の研究をしている人はずっと研究で癌を見ているでしょう? 癌細胞を見て「愛おしい、守ってあげたい」なんて言うんですね。これは本当です。「癌というのは人間の体から出しちゃうと死んじゃうんです、私が守ってあ げたい」…と研究者の女性が言っていましたけど、そういうものなんです。癌細胞ですらそうなんだから、自分の子供をじっとよく見る、見る、見る…そうすると本当に愛せるようになります。これがすべての秘訣です。

そうすると子供が良いことをいっぱいやっていることがわかり始めます。親が今まで気づかなかったところで、「ああこの子はこんなことをやっているの か、お父さんお母さんを助けようとしてこんなことをしているのか」というのがいっぱいわかるんです。子供はものすごくたくさん素晴らしいことをやっていま す。私(竹下氏)が疲れて家に帰ってきますね、私がよく眠れるようにテレビのボリュ−ムとかを小さくして見ている、おもちゃも遊びたいのを遊ばないで声も潜めて話し てくれているんですね。そういうことを配慮してくれているんです。でも私は「ありがとう。僕はすごく感謝しているよ」なんて絶対に言わない、なぜ言わない かというと、子供に直接言ってしまうと子供は意識的な心でそれを受け止めてしまうんです。すると子供は親を喜ばせるためにやるようになってしまうのです。 これはまずいです。そうではなくて、親のことや人のことを思いやることが自然に出来るようにするには、その子の潜在意識で受け止めないといけないんです。そ の子の潜在意識がいつ働いているかというと、ボ−ッとしている時なのです。ちょっとリラックスしてボ−ッとしている時、意識が私の方に向いていない時に言 わないといけないのです。子供が気遣いをしてくれた時に「とも君はいつもお父さんが疲れて帰ってくると静かにしてお父さんを寝かしてくれいるんだね」など と言って絶対にほめない。その時にはそこに意識を集めるだけなんです。そしてある程度間が開きますよね、そうしたら子供はそれを忘れますね、おもちゃで遊 びだす。後ろを向いて子供が遊んでいる時、力を抜いている時を見計らって、よそを向いて、「とも君は優しいからなあ」っとボソッと言うわけです。

直接その子をほめない。これは大変大事なことです。うちはいつもそんなことをやってます。妻が車を運転している、私が子供を膝の上に乗せていると、 妻が私に話しかけてくるんです。「昨日私すごく疲れてたの、だからちょっと何時間か寝てた、その時とも君はとても静かにしてくれて、寝させてくれたの」妻 が私に話すという形で子供に入れたわけです。「とも君、すごく優しかったのよ。昨日こんなことをしてくれたのよ」と話す。「あ あ、そうか」とだけ言って、それ以上何も言わない。そして子供がそれを忘れてふっとリラックスした時に、「とも君は思いやりがあるからなあ」とボソッと言 う。その子に向かって言わない。よそを向いてボソッと言うと潜在意識にサッと入る。するとその子は思いやりのある子に育つ。これが秘訣で、 一番大切な技術なんです。大切なことは思いやりのある子に育てようとして、こういう操作をこれ見よがしにしては絶対にいけない。そうではなくてその子があ る行為をした、そういう行為をしたことに対して、親が子供の中に思いやりを見い出すのです。この子は思いやりのある子だなあと感じとるんです。ですから親の方にそれを感じとる感受性が不可欠です。そう言う意味で、とにかく子供をよく見ていないといけない。見て感じ取るのです。


○ 怒りの原因を突き止める

子供に否定的な側面が見えたり、嫌な態度や反抗的な態度があると、親は怒ったりしますね。でもほとんどの場合は原因は親が間違ったことをしているからな のです。子供は愛情を要求しているのに仕事や家事に忙しすぎて全く無視してしまった、あるいは自己を主張する独立要求なのに、「何でこんなこと出来ない の、早くしなさい」と言う。こういうことに対する反発であることがほとんどなのです。ですから子供を叱るのではなくて、それは自分に間違いがあるのではな いかと思って、自分も子供も含めてよく観察して欲しいんです。そうしたらほとんどの場合、親が何か違反をやっています。本当はしつけなくていいことをしつ けていたり、言わなくていいことを言っていたりするわけです。子供の良い面を見ようとして努力してみてもどうしても出来ない場合は、夫婦関係に問題があって心の中に既に混乱がある人がほとんどです。そ ういう人が子供に優しくしようとしても無理です。ですから夫婦関係を先に修繕しなくてはならない。子供のことを怒る以前に夫婦関係をしっかりと見直さない といけないのです。両親の間に不満があって、その余ったエネルギ−が子供を怒る、いじめるということに繋がっているケ−スが多いです。

子供の態度に否定的側面が見えた場合は、それを子供の性格として受けとめず、一過性のものと考えます。時 間がたてば消えていくと考えるんですね。そして、なぜ子供がそのような態度を取るのかを理解しようと努めて下さい。子供をよく見て理解して、何か子供が否 定的な態度を取った時にはそれを理解する、そしてその原因を取り除くという形で全部対処するのです。うちの話ですが、子供が母親に対してすごくけんのある 態度を取ったんです。母親が「とも君、あれを取ってよ」と言うと、それに対してすごく嫌な態度を取ったんです。明らかに怒っているという態度を取ったので す。子供がそういう態度を取ったということは何か原因があるのです。その原因は何だろうかと私は考えました。先程まで子供が何をやっていたかをずっと思い 返しながら、「とも君、さっきそのおもちゃで遊んでいたよね。何か今怒っているだろう?」「怒っていない」「怒っているじゃあないか、何で腹立ったん だ?」と話しかける。それでも子供はわからないんです。腹が立っている原因はもう忘れているのですね。だからそれを一緒に探っていくわけです。するとおも ちゃで遊んでいる時までは機嫌が良かったのに、その後のあたりからおかしくなっていった。時間にして15分位前だったということがお互い夫婦でもわかりま す。「遊んでたよねえ、その後何してたん?」「ああそうだ、その後お母さんに何か頼まなかったっけ」と、そうやってお互いに過去を追想するんです。そうす るとパッとわかったのです。とも君がお母さんに、「ねえセロテ−プどこにあるの?」と聞いたのです。そうすると母親がその時に家事をしていて、何か茹でて いたんですね。「そこにあるでしょ、自分で探しなさい」と言ったのです。それに腹を立てているんです。「とも君、セロテ−プよ、私が『あそこにあるから自 分で探しなさい』と言ったのでそれが気に入らなくて腹を立てたんでしょう?」すると子供は、「違うもん」と言いましたが、それが正解だったんですね。それ に気づいたら、子供は機嫌を直して遊んでる。だから子供は何に対して腹を立てたのかに気づけば、それで心の問題に解決がつくわけです。と ころが腹を立てたことに気づかないでいるとそれを忘れてしまった後もなにかイライラしているから、そのあと母親の言ったことが全部イライラの種となって、 いつも怒りとか腹立ちの反応に変わってしまうんです。そうすると親の方はそれがわからないので、「何て嫌な子なんだろう」と思って叱る。叱ると子供は、自 分は受け入れられていない、愛されてないと思い、不安になってますます親を試す行動をとるようになる。それで悪循環にはまってしまうのです。

この場合は、「お母さん、セロテ−プ何処にあるの」「向こうにあるでしょ、探しなさい」と言ったのが気にくわなかった。それに気づいてからは機嫌は 直ったんですが、親としてはそれで終わってはいけないのです。もっと深い所を見ないといけない。何故そんなことで腹が立ったんだろうか、そこまで見ないと いけません。要するに機嫌が良い時だったら、「そうか」と思って自分でセロテ−プを探すのに、何故その時には腹が立ったんだろうかということです。という ことは初めから腹を立てていたんですね。腹立ちという気分が先にあってそれでお母さんに「セロテ−プ何処にあるの」と聞いて、それでお母さんが取ってくれ たら機嫌が良かったのに、取ってくれなかったから怒りという形で爆発して内向したんですね。何故最初に腹立ちがあったのかということが問題なんです。

私と妻はその前に話をしていました。私と彼女が非常に楽しそうに話をしていたので、子供はおもちゃで遊んでいたんだけど突然不安になったんですね。私 と彼女の間に割り込まねばならない。自分の夫が街でふっと見かけたら若い女性と親しげに話をしている、この時に平然と超然としていられる女性は少ないで しょ。それと同じなんですよね。私と妻がとても楽しそうに話してたので、おもちゃで遊んでいたんだけどフッとそれに気づいたんです。「お母さんセロテ−プ 何処にあるの?」と言って、私達の話を中断させたかったんです。それで彼女が、「ここにあるのよ」って優しくしてあげたら自分の方に注意を向けてくれて満 足したのに、意にも介せず振り向きもしないで「自分で探しなさい」とやったので腹が立ったんです。人間の心の動きはそういう風に出来ていますから、心をちゃんと見つめていくと、なるほど子供はこういう風に心を動かすんだな、じゃあ大人と全く同じじゃないかというのがわかります。

大人も子供も心の動きは全く同じなんですよ。そう言う風に動くんです。何故腹を立てたのか、不安になったのかが大人も子供もわからない。だからこそ 過去をたぐっていって内省していく。何に腹を立てたのかを突き止めていく。そのことによって自分を知ることが出来るようになってくるのです。ですから子供 をちゃんと育てることはそのまま自分を知ることになっていきます。もしこれを徹底してやったら間違いなく「悟り=あるがままだ」という境地に達するでしょうね。悟 りというのは本当は出発点で、そこがスタートラインなんですけど、そこに到達出来るということです。そのくらい子供をちゃんと育てること、自分自身を見つ めることは大切なのです。それで私はいつもそうやって育ててきたわけです。大概は心を澄まして過去を見つめていくとわかるんですよ。

続く