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2007年12月18日 (火)

真の「意識の転換」とは?

竹下先生の「救済のためのメッセージ4」のポイントとなるのは一言に集約させれば「奪い合いから分かち合いへと意識を転換せよ」と言うことだと思います。マイトレーヤはたしかにベンジャミン・クレーム氏を通してこのことをずっと言い続けてますね。僕もこのことには以前から関心があり、以下のような記事をブログに書いたことがあります。

分ち合いで成り立つ世界 - 1
分ち合いで成り立つ世界 - 2
分ち合いで成り立つ世界 - 3

これはもう1年以上前に書いた記事ですが、基本的に今も僕の考えは変わっていません。要するに「資本主義の原理に乗っかって世の中が動いているうちは『分ち合いで成り立つ世界』はやってこない。しかしそれを変えるために必要なのは、かつての共産主義革命のような社会体制の転換ではなく、心の革命、意識の転換だ」ということです。

「大宣言の日」も株式市場が崩壊した後だと予告されていますし、現在の世界の経済制度が崩壊しない限り、この著しい不平等はなくならないとマイトレーヤは語っていますので、この点についてはかなり当たっているのではないかと思っています。実際、世界経済は現在崩壊に向かってまっしぐらに進んでいるようです。今日もこんな記事が出ていました。

米国株:大幅続落、景気先行き懸念で(日経ネット)

ではどうやって意識の転換を起こすかと言うことになりますが、そのための手段として竹下先生は「マイトレーヤ様の御名を108万回唱える」と言うことをあげています。ただし同時に「このような情報を全く知らなくても、既に『利他』『分かち合い』へと意識の転換を成し遂げている人々もわずかながらいる」とも付け加えています。「マイトレーヤ様の御名を唱える回数がわずかでも、利他性の心が育まれたものは『命の道』へ入る」とも。

ということは、逆もまたあり得ると言うことではないでしょうか。たとえ108万回唱えても、心が全くこもっておらず、ただ漫然と回数をこなしたと言うだけでは、意識の転換はおこらないかもしれません。「108万回唱えることが絶対的条件」と言うことではなさそうです。

例えば「分かち合い」「利他」が重要だと言われ、全財産を恵まれない人々、食べるものにも不自由している貧しい国に寄付した人がいたとしましょう。その行為自体は立派なことです。しかし、その動機が「これほどの財産を全部寄付するとは、なんて立派な人だろう…と多くの人に尊敬されたい」ということであっては、なんにもならないと言うことでしょう。その人の心にあるのは「優越感を感じたい、他の人より自分の方が優れていると思われたい」と言うことであって、その根拠が「金銭」から「名誉」にシフトしただけに過ぎません。それでは根本的な意識の転換は全く起こっていないことになるでしょう。

僕自身のことで言えば、例えばこのブログをなぜ書いているか、と言うことが問題になります。多くの人に「こいつはこんなことを考えているのか」と感心されたい、共感を得たい…と言うような動機ではダメなんだと思います。全くの無私で、読んでくれる人のために少しでも役に立てば…という100%の奉仕の心にならなければならないのでしょう。(もちろん、今の自分にそれが達成出来ているとは思っていません。)

皆さんもこんな風に自分の日常の行動の動機、「どんな意識でこの行為をしているか」と言うことを一つ一つ点検してみてはどうでしょうか?そうするとこの道がいかに厳しいものであるかがだんだん見えてくると思いませんか?

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コメント

私は幸運にも4回全てのイベントに参加できました。しかし、自分が一番分かっていることですが、全ての行動において利他的とは言えない状態です。そして、利他的な行動をしたときでさえ、果たして潜在意識から無意識まで、全てにおいて利他的かどうか怪しい状態です。
スタートが低い状態なので、マイトレーヤ様に潜在意識でも無意識でも利他性の意識となるよう導いて下さいとお願いして始めました。まず324万回を唱え、その時点でも意識の変換がなっていないなら、さらにそうなるまで唱え続けようと思っています。
神様にお願いしないと、ちょっとやそっとで意識は変化しないように思います。
この掲示板をみると共に歩む方がおられるのではげみになります。

>神様にお願いしないと、ちょっとやそっとで意識は変化しないように思います。

この点については僕はやや違う見方をしています。「導いてください」と神様にお願いするのはいいと思うのですが、意識を変えるのはあくまでも自分自身の力で、自分の足で歩いて行かなければダメなんじゃないかと思うのです。

と言うのは、例えば竹下先生も「たとえ良かれと思ってしたことでも、相手が頼んでもいないのに、相手の意思を無視して遠隔ヒーリングをしたりするのは重大な霊律違反だ」とおっしゃっています。ベンジャミン・クレーム氏は「ハイアラキーの覚者といえども、人間の意思を無視して手を差し伸べることは出来ない」とおっしゃっています。

つまり、個人個人の「意識」と言うのは他者が絶対に侵してはならない「聖域」で、神といえども人間の潜在意識の中に手を突っ込み、強引に神様の方に向かせるようなことは出来ない(やってはいけない)のではないでしょうか?他のお願いごとならガヤトリーマントラを活用すればたいていのことはいずれかなえられますが、「自分自身の意識を変える」ことだけは自分自身の力でやらなければならないんじゃないかと僕は思うんです。「意識」すなわち、その人が何を考えて生きているのかと言うことは、その人自身そのものなわけですから。

もし神様が人間の意識を自由に変えられるなら、人間は神様にリモコンで操られたロボットのようなものになってしまいます。それでは私たち人間は何のために生きているのか、その存在意義がなくなってしまうと思いませんか?

ですから竹下先生が推奨している「108(324)万回の呼びかけ」は、ガヤトリーマントラの祈りなどとは根本的に異なるものじゃないかと言う気が僕はします。何というか、神様にお願いすると言うようなものではなく「自分で自分の意識にくさびを打つ」ような作業じゃないかと思うんです。

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