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2005年4月12日 (火)

私にとってオウムとは何だったのか

朝日新聞のサイトに興味深い書評をみつけました。元オウム真理教の幹部、早川紀代秀が綴った手記「私にとってオウムとは何だったのか」を取り上げたものです。その中に以下のような記述があります。

 たとえば麻原がポアの名目で肯定する殺人の論理は、あまりにも幼稚だ。一言でいうと、その人はほうっておくと悪業をなして地獄に落ちるから、その前に殺して救ってやる、というのだから。でも、こんな下らない論理に、ころりと騙されてしまう信者がいる。教団の肩書好きにも苦笑させられる。正悟師だの建設大臣だの。解脱なんて言葉が、ずいぶん安易に使われている。

 しかし、本当にオウムは私たちと違う人びとなのだろうか。ほうっておくと大量破壊兵器を使うかもしれないので、フセイン政権を潰して世界を救う、とブッシュは考えたが、どこが違う? 名刺に肩書をたくさん並べて誇らしげな人はどこにでもいる。血液型性格判断や占いを信じる人も多い。

 その意味で、オウムは世の中の縮図だ。オウムを問うことで、世の中が見えてくる。

「ほうっておくと大量破壊兵器を使うかもしれないので、フセイン政権を潰して世界を救う、とブッシュは考えたが、どこが違う?」という言葉が強烈です。多分、どこも違わないんでしょうね。その価値観を信じてる人が多いか、少ないか、自分は何を信じるかだけの違いでしょう。どちらも信じない私から見ると、どちらも同じぐらい「異様」に見えます。

でも「パパラギ」を書いたサモアの先住民の酋長、ツイアビから見れば現代の先進国文明の全てが異様で狂ってるように見えたでしょう。結局、全ての価値は相対的で、どこに自分の視点を置くかに過ぎない、ということなんでしょうね。で、自分の視点からみて相容れない価値観で生きている人は「異様」「狂ってる」ように見える、というだけのことでしょう。別の価値観から見れば「そう言うおまえの方が狂ってる」ということだってあるわけです。

自分もまた、どこかの誰かから見れば「狂ってる」んだ、ということを認識しておくことは、とても大切なことではないかと思います。

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コメント

仕事がらみ ですが。。。
某宗教団体に 属する方。。。

「信用」する 仕方が「理論的」じゃないんですよねえ。。。。

論理として 全然アウトな業者を「信用できます」って言ってらっしゃるんですが、、、、
σ(∂_∂)に 話をされればされるほど(それ 駄目な建設会社の典型じゃん。。。)と 思う状況なんですが。。。

なんか 「信じてる」から「信じたい」みたいなところがある。

σ(∂_∂)は よー 「騙せ」ませんでしたわ (。) ボソッ
も「言葉だけ」の業者を 信じはったからなあ。。。


救いようがない ってのが 正直な感想です。。。。

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