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2015年5月 6日 (水)

古い世界観から、新しい世界観へ

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前回「全てがバラバラ」に存在してるかのような従来の世界から、「全てはひとつ」という本来の世界観に、我々の認識がステップアップしようとしている…という話をしました。
これは「全体」の意志で、止めようのない変化だと思います。そしてそれは「全ては一つ」というワンネス…「全体」の根源的な意志だと言ってもいいでしょう。

その徴候と思われる事象は、既に人間社会のあちこちでも散見されます。例えばウィキリークスやアノニマス、元CIA職員のスノーデン氏、元世界銀行職員のカレン・ヒューデス氏、そしてとどめはロシアによる9.11同時多発テロ事件のヤラセ暴露…などにより、世界中の「隠されていた真実」が次々と暴露され、明らかにされた数々の事件。

そして現在も進行中の福島原発の問題。これにより、政府や電力会社が今まで行ってきた「原発安全神話」が、全くの虚構であったことが完全に露呈してしまいました。更にその虚構を覆い隠すために、政府・東電・原子力安全・保安院が嘘に嘘を重ねていたことも、言ったそばから次々と暴露されてしまいました。

また本来これらの虚構を暴く側であるはずの旧来のマスコミが、権力側と癒着していて、全くその役割を果たしていないことも完全にバレてしまいました。

これらは「古い世界観の崩壊」によって引き起こされたものではないでしょうか。

これらの明るみに出た事件に共通することは、「真実を覆い隠すことによって、一部の人間がその他大勢の人間を犠牲にして権益を得てきた、そしてそのことが暴露されることによって通用しなくなった」という点で共通しています。「真実を覆い隠すことによって、一部の人間がその他大勢の人間を犠牲にして権益を得る」ということは、「全てがバラバラに存在する」という古い世界観においてのみ、通用することです。

自他の境界線が曖昧になり、「全ては一つ」の世界では、こうしたことはありえないことです。「自分と他者は一体」なのですから、「真実を覆い隠すこと」などできるわけがなく、そもそも「他者を傷つけることは自分自身を傷つけること」ですから、他人を出し抜いて権益を得ることには、なんの意味もありません。

自分の左手が持っているものを、自分の右手がぶん殴って奪い取ることになんの意味があるでしょうか?
「右手も左手も、自分の一部である」という統合された意識があれば、そんなことは全く馬鹿げたことです。

しかしもし、「右手と左手にそれぞれ独立した意識があり、バラバラに存在している」と思い込んでいたとしたら?
…右手は左手に危害を加えてでも、持っているものを奪い取ろうとするかもしれません。
私たち人間は、今までそういう馬鹿げた、幻想の世界、マトリックスの中に生きていましたが、今まさにその幻想が崩壊過程にあるのでしょう。

ニュースとして表に出ている事件の中にも、古い世界観の崩壊、新しい世界観の台頭が着々と進行しているように見えます。古い世界を成立させていた数々の欺瞞、嘘、虚構が明るみに出てきて、存続不可能になってきているようです。

古い世界の「全てはバラバラに存在している」という世界観で生きている人たちは、基本的にこの世を「闘争と生き残りゲームによって成り立っている」と見ています。つまり、極端に言えば、他人を犠牲にしようが、出し抜こうが、殺してしまおうが、とにかく闘争に勝利して生き残ったものが「勝ち組」だ、という考え方で生きているわけです。

それに対して、既に新しい世界観「全ては一体である」に意識がシフトしている人々は、この世は「共生と調和によって成り立っている」と見ています。「全てが一体」なのですから、これは当然そうなるでしょう。

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2015年5月 1日 (金)

「悟り」を指を使って比喩的に表現してみました

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前回までは、宇宙には「たった一つの存在」しかなく、私たちはそれらを無数に分割し、個別化したという幻想(マトリックス)の中で生きている、という話をしました。そして、個別化したという幻想の中に入った「自我」は、自分が「たった一つの存在」であることを忘れました。そして「自分」と「無数の自分でないもの」という概念を作り出すことによって、 その幻想のマトリックスの中で様々な体験をすることが可能になったわけです。

繰り返しになりますが、私たちは「かつて一つだったが、現在はバラバラに分かれて存在している」のではなく、現在も「宇宙にはたった一つの存在しかいない」のです。「バラバラに存在している」というのは幻想です。あなたと、あなたの隣にいる人と、あなたが人生で出会うすべての人は「一体」なのです。ただ、そのことを忘れて、現在は認識出来ていないだけです。

つまり、究極の真実はこうです。

この宇宙にはあなた以外には存在しない。あなたが「たった一つの存在」であり、「神」であり、「サムシング・グレート」であり、「ワンネス」である。

この文章の「あなた」の部分を「私」に置き換えても、「彼」、「彼女」、その他何に置き換えても、同じく真実です。なぜなら「全ては一つ」だから。

この事をもう少し別の喩え話で説明してみましょう。以下は私の手の写真です。

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手のひらの部分が見えないように、わざと本で隠しています。この本の上から覗いている指を人間だと思ってください。
親指がAさん、人差し指がBさ ん、中指がCさん、薬指がDさん、小指がEさんです。彼らは、本で隠している手のひらの部分は、決して見ることが出来ない、認識できないと仮定してください。

この写真だけを見ると、A〜Eさんは一見バラバラに独立して存在しているように見えます。そして、AさんはBさんと仲がいい、でもCさんはちょっと苦手、Dさんは顔も見たくない…などと、好き勝手なことを言ってます。ところが…

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ある日突然、手のひらの部分を隠していた本が下にズルッと動いて、指同士(自分と他者)が一つにつながっていたことが分かってしまいました。みんな驚愕しました!Aさんが「顔も見たくない」と思っていたDさんは、なんと自分の一部だったのです。

それどころか、全てはつながっていて、「自分以外の者はどこにも存在しない」ことが分かってしまいました。「指一本分しかない」と思っていた、 「ちっぽけな自分」という認識は吹き飛んでしまい、自分には巨大な体があることがわかったのです。そして、「指一本分の自分」から見て「体全体の巨大な自分」を「神」とか「サムシング・グレート」などと呼んでいたのです。でも、それはどちらも自分自身でした。

…これが僕が認識している限りの「悟り」と言われるもの(つまり幻想のマトリックスからの離脱)を比喩的に表現したものです。つまり、人間の認識がある時を境にして「ドン!」とステップ・アップして、「全ては一体である」という真実に気が付くということです。

地球は今、雪崩をうってこの大変革に突入しようとしているようです。古い世界の現実が次々と崩壊していくのを、今私たちは目撃しています。原因はこんなふうに「悟り」を得る人々が加速度的に増えつつあり、急速に世界がに古い秩序から離れようとしているからだと思います。つまり、世界中で幻想のマトリックスが崩壊し、「真実の世界」に近づきつつあるということでしょう。

…とまあ、わかったような感じでまとめてみましたが、では私自身が悟っているかというと、そういうわけではありません。せいぜい「ほんの少し垣間見た」という程度でしょう。その直感的に垣間見たものと、知識的に学習したものを組み合わせてまとめてみました。未熟な点もあるかと思いますが、経過報告ということで、お許し下さい。私自身も、まだプロセスの途中です。

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2015年4月30日 (木)

人生の意味は「結果を求めること」にはなく、「プロセスを味わうこと」にある

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前回述べたように、私たちは元々は「たった一つの存在」でしたが、無数に分割して「一つ」だであることを忘れることにしました。(正確には、そのような幻想=マトリックスの中に入った)そしてそのことによって様々な 「体験」が可能になりました。

しかし、完全に「一つ」だったことを忘れきってしまっても困るので、お互いに「元の一つの状態に戻りたい」という衝動を感じるような仕組みが作られました。

これが現在私たちが「愛」と呼んでいるものでしょう。

私たちはお互いにバラバラの状態から「一つ」の状態に戻る時に無上の喜びを感じます。それが本来の自分に戻るプロセスだからです。
逆に一つだったものがバラバラに分離していく時には苦しみを感じます。それが本来の自分から遠ざかるプロセスだからです。(もちろんこれらは幻想=マトリックスの中で感じることに過ぎず、本当は私たちはいつでも「たった一つの存在」から離れたことはありません。)

例えば、セックスの時に私たちは何故気持ちよく感じるのでしょうか?…それは二つに分かれていたものが「一つ」に戻るプロセスだからでしょう。
逆に出産の時、女性は何故あれほどの苦しみを感じるのでしょうか?…それは一つだったものが二つに分かれるプロセスだからでしょう。

このように、私たちはバラバラだったものが一つに戻る時に幸福、喜び、充実感などのポジティブな感覚を感じ、一つだったものがバラバラになる時に不幸、苦痛、孤独感などのネガティブな感覚を感じるように出来ているのだと思います。

そして、「たった一つの存在」、「神」、「造物主」、「サムシング・グレート」、「ワンネス」と呼ばれる存在は、この両者のマトリックスの間を永遠に行ったり来たりしているのだと思います。

「一つ」の状態に戻れば無上の幸福感で満たされるが、「自分が何者であるのか」を体験することは不可能になる。従ってまたバラバラに拡散する。
拡散すると「愛」の力によって一つに戻ろうとして、その時に自分の本当の姿を思い出して無上の喜びを感じる。

…この拡散と収縮をマトリックスの中で永遠に繰り返しているのが、「たった一つの存在」がやっている、「神のゲーム」とでも言うべきものだと思います。

科学的な宇宙論でも「宇宙は膨張と収縮を繰り返し、振動している」と言う説がありますが、まさしくそれでしょう。

当ブログの第一回では、「幻想にとらわれていることが、あらゆる「苦しみ」の原因。その状態から脱出するためには、意識を覚醒させ、マトリックスから離脱するしかない」と書きましたが、こうしてみると、幻想=マトリックスにはちゃんとした存在理由があることがわかります。

つまり、人生は「私たちはバラバラに孤立して存在している」という幻想の苦しみの世界から、「全ては一体である(ワンネス)」という真実に歓喜とともに目覚めていく、そのプロセスを味わうことが醍醐味なわけです。

ですから、人生にはゴールなんてなく、その時その時のプロセスを味わうことにこそ意義があると言えそうです。
「勝ち組、負け組」なんて価値観にも意味はなく、ただそれぞれのプロセスの中に固有の「体験」があったというだけの話。ある人がこの世的に勝ち組で、別の人が負け組のように見えたとしても、どちらも「たった一つの存在」の現れで、どちらも自分なのですから。

私の知るかぎり、こうした概念を最もわかりやすく伝えているスピリチュアル系の文献は、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の「神との対話」だと思います。興味を持たれた方はぜひご一読ください。

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2015年4月29日 (水)

この宇宙には、「たったひとつの存在」しかいない。

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前回の記事で人類は新しい意識の段階に進化しようとしていると書きました。
しかしこれを「進化」と呼ぶのは適当ではないかもしれません。

「エデンの園=ありのままの現実、生命の本源とつながって生きる『悟り』の状態」は全ての人間が元々持っているもので、思考によって築き上げた「壁」が邪魔してそれが見えないだけで、消滅したわけではないのですから。「進化」と言うより、「思い出す」とか「再発見」といったほうが適切でしょうね。

…それでは具体的にどのようなことを「思い出す」のでしょうか?
まずこの宇宙がどういうふうに成り立っているか、という根本的な話から始めてみましょう。

宇宙には実は「たった一つの存在」しかいません。
私たち人間はそのことを「神」とか、「造物主」「サムシング・グレート」「ワンネス」などと呼んでいますが、とにかく「たった一つの存在」しかなかった。科学的には「ビッグバン以前の宇宙は、針の先ほどの小さな一点だった」と言われているが、物理学的に言えばそういうことになるのでしょう。

その宇宙の根源である「たった一つの存在」は完全無欠。
なにせ、自分以外には何も存在しないのですから、足りないものなどあるはずがない。
しかし、「たった一つの存在」は自分が完全無欠であることを知っていても、それを「体験」することは出来ません。
なぜなら、自分がどういう存在なのかを体験するためには、「自分でないもの」が存在する必要があるからです。

「暑い」ということを体験するためには「寒い」という状態が存在する必要があります。
「大きい」ということを認識するためには、比較の対象として「小さい」ものが存在する必要があります。
ですから「たった一つの存在」である状態、自分以外に何も存在しない状態では、何一つ「体験」することは出来ないのです。

そこで「たった一つの存在」は自分を二つに分割してみました。
するとそこには「自分」と「自分でないもの」、「わたし」と「あなた」が現れました。
「自分でないもの」が現れれば、それと自分を比較することで「自分とは何か」を体験することが出来ます。
「たった一つの存在」は狂喜しました。

そこでもっともっと様々な体験をしたいと考え、さらに自分を四つ、八つと無数に分割していきました。(実際は「無数に分割した」と言う幻想の中に入った。)
そして個々の「個別化した存在」は、実際は「たった一つの存在」であることを忘れるように仕組みました。

すると、「自分」と無数の「自分ではないもの」が現れ、様々な複雑な体験をすることができるようになりました。

これが現在私たちが「魂」とか「生命」と呼んでいるものの起源だと言えます。

私たちはそれぞれ独立して、個別に存在しているように感じていますが、実際は今も「たった一つの存在」で、そのことを忘れているだけなのです。

つまり「神」とか、「造物主」「サムシング・グレート」「ワンネス」などと呼んでいるものは、私達自身のことなのです。

これが聖書に「人間は神の似姿として作られた」と記されていることの意味だと思います。

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2015年4月27日 (月)

旧約聖書の「エデンの園」とは、何を意味しているのだろうか?

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前回は、「私たち人間が現実と思っているものは、実は思考によって作られた幻想、マトリックスの世界だ」ということを書きました。では、人間はいつからマトリックスの中で生きるようになってしまったのでしょうか?

旧約聖書の創世記には、最初の人間であるアダムとイブが、神から決して食べてはいけないと言われた「知恵の木の実」を食べ、その罰として楽園である「エデンの園」から追放されたという記述があります。普通に考えれば「知恵の木の実を食べて頭が良くなったんだから、いいことなんじゃない?なぜそれで罰を受けなければならないの?」と思ってしまうかもしれません。しかし、アダムとイブは、知恵の木の実によって他の動物にはない「論理的思考能力」を獲得した代わりに、他の大切なものを失ったのだと考えれば辻褄が合います。

それが「幻想でない、ありのままの現実とつながる能力」でしょう。すなわちこれ以降、人間は常に思考のフィルターを通してしか現実と触れ合う能力を失い、「マトリックス=幻想の世界」に生きるようになってしまったということを、この創世記の寓話は象徴的に語っているのではないでしょうか?これこそが人間にとっての「失楽園」なのだと思います。

たとえば渡り鳥は誰にも教わらなくても一番効率のいい隊列を組んで飛んでいる。あるいは小魚の群れは、リーダーに指示されなくても進行方向を同時に変えることが出来る。こうした現象は、彼らが個を超えた「集合意識」「全体意識」のようなものにつながっており、そこからの指示に従っているので、全体として調和した行動が取れる…としか考えられません。

他の例では、ライオンはシマウマを捕食しますが、お腹いっぱいの時はライオンは目の前をシマウマが通っても見向きもしない。つまり「ありのままの現実」とちゃんとつながっている野生動物は、自分が生きるために必要な分以上のものを欲しがりません。

また、シマウマは一方的にライオンに捕食される「犠牲者」かというと、そうではない。草食動物を捕食する肉食動物がいなければ、草食動物は際限なく繁殖し、いずれ食料となる植物を食べ尽くして、飢えて死ぬことになります。すなわち、ある意味でシマウマはライオンに「適度に食べられる」ことによって「助けられている」ことになります。「ありのままの現実」とちゃんとつながっている野生動物は、このような持続可能なエコシステムの中で、自然環境と調和して生きています。

しかし、人間だけは生きていくのに必要がないものを欲しがる。しかも、際限なく。例えばお金、権力、地位、名声…こうしたものをなぜ人間だけが際限なく欲しがるのか?答えは簡単で、現実の代わりに自分の思考によって生み出した幻想=マトリックスの中に生きているからでしょう。そしてマトリックスをベースとした「自我」という名の「幻想の自分」を自分自身だと錯覚して生きている。幻想はどこまで行っても幻想であり、宿命的に不安定だから、マトリックスに支えられた自我は常に幻想が破られ、アイデンティティを失ってしまう不安にさらされています。その不安を打ち消し、幻想を強化するために、自我は際限ない欲求(お金、権力、地位、名声…etc.)に駆り立てられざるを得ないのです。これがキリスト教でいうところの「原罪」であり、仏教でいうところの「煩悩」だと言えるでしょう。

確かに人間は他の動物にはない論理的思考能力を獲得することよって、テクノロジーを発達させました。それが全て悪しきものだとは思いませんが、その背景にはこうした人間の心の「本質的な機能不全」が存在します。つまり常に思考のフィルターを通した幻想によってしか、現実と触れ合うことが出来なくなってしまったということ。そして個を超えた「全体意識」「命の本質」とのつながりを失ったために、言葉を通してしかコミュニケーションがとれなくなっています。

いわば人類は普通の状態でも生物として「発狂している状態」で、そのことによって今や地球上の生物を何十回も絶滅させてしまうほどの核兵器を持ち、幻想に駆り立てられた際限ない欲求によって、自分自身の生存のために必要な生態系を破壊し、あと一歩間違えれば自滅するところまで来てしまったのです。そうした本能的な行動規範を失い、その不完全な代用品として言語、法律、道徳などを発明しましたが、代用品はしょせん代用品、根本が「幻想に駆り立てられた発狂状態」ですから、完全ではありません。

1968年公開の有名なSF映画「2001年宇宙の旅」は、人類が猿から人間、人間から「人間以上の存在」に進化していく物語です。この映画の中にも、創世記の「知恵の木の実」の寓話に相当する描写があります。映画を見た方ならお分かりでしょうが、猿人が動物の骨を武器として使うことに気付くシーンがそれです。この瞬間に「猿」は「人間」に進化するわけですが、映画のエンディングでは、人間が「人間以上の存在=スターチャイルド」に進化していくことを暗示して終わっています。

僕はこの「2001年宇宙の旅」で暗示されているように、人類は今まさに、「人間以上の存在」に進化しようとしている、その途上にあるのだと思います。「人間以上の存在」とは、かつてのブッダやキリストのように意識を覚醒した状態、いわゆる「悟り」を得た状態です。それは個を超えた命の本源とつながった状態、思考のフィルターを通さずに直接現実と触れ合える状態と言ってもいいでしょう。

私たち人間は、かつて住んでいた「エデンの園」を取り戻す過程にあるのです。そして人類の大半がこの「覚醒者」となった時、人間は自ずと「全体にとって最善の行動」をとるようになり、世界から戦争、飢餓、差別、搾取、環境破壊など…あらゆる問題が解決に向かうでしょう。

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2015年4月26日 (日)

あなたが体験しているのは現実?幻想?

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悪夢を見ていて目が覚めた瞬間、「ああ、夢でよかった」と、
胸をなでおろした経験は誰にでもあるでしょう。
しかしもし、私たちが「これは現実」と思っていることさえ、
「夢」あるいは「幻想」に過ぎないとしたら…あなたはどうしますか?

これは冗談ではないのです。
どうやら私達が経験する現実と思っているものは、全て幻想らしいのです。私達の自我は、こんな風にして幻想の世界を構築するようです。

  • 五感から入ってくる情報に「物語=意味」を与える。
  • それに善悪や正邪、価値の有無などの判断を下す。
  • そして自分で付加した意味に反応して感情や思考が発生。
  • こうして生まれた「物語」によって幻想の世界が徐々に広がっていく。
  • 思考がこれを反復し、強化、継続します。
  • こうしてマトリックス(幻想の世界)が完成!

…というわけです。

「マトリックス」という言葉を使いましたが、これはもちろん1999年に公開されたキアヌ・リーブス主演の映画からの引用です。私たちが生きている世界はあの映画の設定にそっくりなんです。

登場人物はマトリックスの中で人生を送っていますが、それは全てコンピューターが創りだした「仮想現実」で、本当の自分はマトリックスの中にはいません。本当の自分はカプセルの中で眠らされ、「仮想現実=マトリックス」が創りだす「夢」を見ているだけなのです。ごく少数の人がこの「夢」から目覚め、本当の自分を知って、人々を目覚めさせ、開放するために闘っている…映画の設定はこんな感じでした。

おそらく制作者はSF的な設定を借りて、
私たちの生きている世界の本質を比喩的に表現しようとしたのでしょう。

私たちは本当にこんな世界に生きているのです!
ただ違うのは、映画では人類を支配したコンピュータがマトリックスを作り上げ、
その中に人間を閉じ込めているという設定でしたが、
実際の私たち人間は、自分の思考によってマトリックス(幻想の世界)を作り上げ、
自らその中にはまり込んで抜け出せなくなっているということなのです。

私たちが「現実」だと思っているものは、本当の現実ではなく、自分だと思っているものは「本当の自分=真我」ではないのです。

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映画「マトリックス」より

私達は皆こうして自分自身で構築した幻想の世界、マトリックスに住んでいます。常に幻想を通して世界を見ているので、決して本当の世界と触れ合うことができない。そして

マトリックス同士が衝突すると、争いごとが起きる。マトリックスは自我(幻想の自分)を支えているので、相容れないマトリックス同士が 衝突すると、相手を叩き潰すまで争うことになります。

マトリックスが消滅する、損なわれるということは、自我が損なわれる…自分自身(幻想ではあるものの、「これが自分だ」と信じているもの)が消滅するに等しいことだから。

ゆえに人間同士の戦争は、他の動物では決して見られない、同種間での大量殺戮にまでつながるのです。マトリックスを守るためなら、自分たちが生存するために必要な生態系を取り返しがつかないほど破壊するという、愚かな行為もやってしまう。

他の動物がそんなことをしないのは、ちゃんとありのままの自分、
ありのままの 現実と触れ合って生きているからです。
人類はおそらく何千年もこうやって幻想の世界に生きてきた。
いわば眠ったまま夢遊病のように生きているわけです。
これが私たちが感じているあらゆる「苦しみ」の原因といえるでしょう。
その状態から脱出するためには、意識を覚醒させ、マトリックスから離脱するしかありません。

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